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素人の日本国民運動? 6.11デモ公開質問状への補足


(以下は、「6.11新宿・原発やめろデモ」に抗議した有志〔公開質問状を参照〕のうち、柏崎からの見解です。かれは抗議のなりゆき〔前記事参照〕で出発前集会で発言しましたが、その発言したこと自体が、集会の「左右の両論併置」を演出することに貢献してはいないかと危惧しています。そのような理由から、以下にかれの個人的見解を発表します。)


いまわたしは考えなおしています。先の質問状で、針谷の起用だけを問題化したことは、正しかったのだろうかと。かれのような侵略主義者が登壇しようがしまいが、あのデモ前集会それ全体が、そういうものとして用意されていたのではないかと。4月の高円寺で出発前集会に一水会の鈴木邦男が起用されていたこと(ウェブ公開はされておらず当会もあとで知った)や、5月の渋谷で歴史修正主義者の宮台真司が起用されていたこと(これはウェブで事前公開)についても、事後的にであれもっと早く抗議をしておくべきでした。このままでは「素人の」反原発運動は、日本国民主義的なキャンペーン運動に陥ってしまうでしょう(すでに部分的にはそうであったと感じます)。

ところで、デモ運営に必要なさまざまな役割をうけもっているなかには、わたしの友人が多くいます(わたしも4月や5月には当日運営を手伝いました)。その友人たちが、渋谷での警察の不当弾圧やそれにかんする世間の悪評判に抗して、被逮捕者を不起訴で取り戻すために奔走したことにも、わたしは敬意をもっています。また、今回の事態について、友人たちがとまどい、内部で意見を発していることについても、わたしは耳にしています。だからわたしは、先の質問状やこの声明を、そうした友人たちの運営内での率直な意見交換に益するものと考えています。反原発をより多様性のある豊かなものとして発展させていくための、建設的な提言と考えています。この提言が議論の呼び水になることを期待します。


1 差別構造を問わずに原発は止められない

原発問題が労働問題、地方差別や植民地主義の問題のうえに作り出されています。したがって、侵略主義や植民地支配を肯定する人物にわざわざ発言させることは、反原発と根本的に矛盾します(それこそ右翼も左翼も関係なく)。そもそも、一連の反原発運動にはアジア系の人々をふくむ少なくない在日外国人の人々も参加しています。おそらく、6.11の新宿にも参加していたでしょうし、わたしの友人の外国人も何人も参加していました。そういう人びとも含む集いに、かつて自分たちを侵略した「八紘一宇」を掲げる団体の代表が発言するということの意味を、「右翼が反原発運動で発言してもいいのでは」と主張する人々はどう考えるのでしょうか。そこには「黒い髪に黄色い肌をしているのはみんな日本人」だと思っているか、見分けがつかないから配慮しなくていい、という無意識の差別と排除の論理があるのではないでしょうか。

とはいえ針谷起用の問題については、先の質問状でも指摘しました。ここでは、かりに侵略主義の立場からでないとしても「日本国民」に反原発を象徴させようとすることが、どういう意味で問題なのかについて、もうすこし補足しましょう。

たしかに原発問題の責任者は、東電ほか電力会社、原発推進企業、日本政府、経産省ほか関係当局です。しかし、いま放射の危険にさらされているのは「日本国民」だけではありません。それどころか、「日本国民」が東電や政府に「だまされていた」などという物言いは、今回のメルトダウン以前から日本で作られた放射能の危険にさらされてきた人びと存在を無視するものです。これまで「怖い」「危ない」「ヤバい」原発ではたらいてきた人たちや、その原発の近隣に暮らしてきた人たちは、どのように「だまされた」のでしょうか。ほかの人たちと同じように「だまされていた」のでしょうか。

下請けで原発施設に雇われる人たちは、放射能の人体にたいする危険性について説明されません。「ほかよりは高い賃金出すからいいだろう」と、下層労働者はカネで黙らされるわけです。ひどいときには、現場が原発だとすら説明されずに連れてこられることもあります。

そもそも放射能を生み出す施設が近所に建てられると聞いて、誰が安心できるでしょうか。原発が建てられるのはいつも農村や漁村であり、そしていつも反対の声があがります。しかしそのほとんどは切り崩されます。政府は自治体の長を振興策で丸め込み、村の家々には電力会社の社員が昼も夜もおしかけ、買収によって地元の人間関係に亀裂をつくることで、現地の人々をつかれさせ、反対の意志をくじく。(もちろん他方で、祝島のようないまも続いている反対運動もありますが。)そうやって原発が建てられたあとには、振興策によって建った不必要に大きな公共施設以外には、なにものこりません。土地を売った金もやがてなくなり、ほかに仕事を探さざるをえなくなります。それどころか、地域経済そのものが原発中心につくりかえられてしまうせいで、原発ではたらくしかなくなる人も大勢出ます。こうして、事故がおきようがおきまいが、原発周辺に暮らす人びとは放射能の危険を強制されます。

放射性廃棄物もまた地方に廃棄されます。やはり反対運動の切り崩しをつうじて、廃棄施設が強制されるのです。また最近では「リサイクル経済」の名のもとに、放射性廃棄物の「輸出」も進められています。経済協定などとひきかえに、アジアの近隣国に放射能ごみを押しつけようとしているのです。そもそも原発以前にも、日本は他国に放射能ごみを(この場合は放射能ごみであること自体を隠しながら)不法投棄しているのですが(マレーシア・ブメキラ村での日系企業の放射性廃棄物による汚染は有名です)。

こうして、原発事故が起こる以前から、一定の人びとだけが選択的に、日本で生み出された放射能の危険にさらされつづけてきました。この被爆の不平等はなぜ生じたのでしょうか。富める者や中間層の下層労働者への差別、都市の地方への差別、日本人のアジア諸人民への差別、こうした差別がもともとあったからではないでしょうか。

さて、東京のような都市部に住む人びとが、どう「だまされていた」のかを考えてみましょう。しかし実際には、原発事故が起きる可能性などについて、割り引いて説明されていただけです。原子力がつまり核であることも、それがどういう場所にあってどういう場所にないのかも、わたしは知らなかったわけではない。ただいままでは、それをつきつめて考えずにいただけなのです。そのかぎりで、首都圏に住むわたしは放射能の被害者であると同時に、東電や政府にたいする一定の「共犯性」をもってはいないでしょうか(もちろん都市部のなかでも、放っておけば放射能被害は経済格差にそって不平等にいきわたるでしょうが)。そして「東電と政府にだまされた日本国民」という表象は、こうした矛盾をおおいかくして、見ないことにするだけではないでしょうか。

こう言ったからといって、わたしはなにも、今回のメルトダウンを期に、放射能への恐怖から、反原発の声をあげることを否定しているわけではありません。3.11以前には原発問題についてなにかをしていたわけではなかったのは、わたしだって同じです。ただたんに、「原発はいらない」というわたしやあなたの認識を、3.11以前から放射能の危険にさらされてきた人びととも共有できるようなものへと、発展させていこうと呼びかけているだけなのです。原発問題の根底にある差別構造を拒否することは、都市生活者が東電や政府との共犯性を拒否することとなり、したがって東電や政府をますます追い詰めるための一歩にもなりうるはずです。


2 立場の問題

国民運動なんて言いがかりだと言われるかもしれません。6.11デモを運営した人たちは、「原発反対」という思いをもつすべての人に場所を与えただけなのだと。しかしそうでしょうか。少なくとも出発前集会は、運営側のアレンジメントによって、つまり誰を壇上で優先的に発言させるかを運営側が選択した結果として、あのように国民主義的ムードが前面に出たものとなったのでした(ほかの要素もあったにせよ)。また興味深くも、松本哉は、新宿駅前でのデモ後集会の最後に「総力戦で」原発を止めようという呼びかけをしていました(youtube動画、4:00前後)。

「原発反対の一点だけで集まる」。これはもっとも低い一致点に見えます。誰にでも開かれた態度のように見えます。しかしながら、(デモに参加する個々人が)放射能への恐怖から反原発を決意することと、(デモ主催者が)「原発反対という一致点だけ」に執着しつづけることとは、まるでちがう問題ではないでしょうか

放射能にたいする純然たる「恐怖」、それ自体は「立場」というよりも、受動的な反応です。ただしもちろん、じっさいのデモ参加者たちが受動的だったと言いたいわけではありません。怖い「から」デモに参加するとしても、この「から」には飛躍があって、そこには行動への意志や決断といった能動的なものがあります。そして「から」のまえにくる理由の部分は、議論をへて、あとからでも豊かにしていくことができます。ひとは問いながら進むことができます。実際、11日に新宿に参加したどのひとも、たんなる恐怖のとりことしてではなく、それぞれにさまざまな思いを抱いて集まったにちがいありません。福島や東北出身の方も少なからずいらっしゃったでしょう。そこにはさまざまな立場があったはず

ところが、過去3回おこなわれた「原発やめろデモ」や各種関連イベントの呼びかけ文においては、時間をおうごとに、「ヤバい」「危険」「恐ろしい」という言葉しか出てこなくなっていきます。これは、主催がデモ参加者の(さまざまな)立場性を、たんなる受動的な反応へと意識的に制限しているようにしか見えません。ならばそれは、反原発をめぐる立場のちがいを認めようとするというよりも、反原発をめぐる立場の衝突を回避し、無視する姿勢でしかありません。このような姿勢こそ、反原発をめぐる議論を封じ、ひいては反原発運動そのものにかせをはめるものではないでしょうか。

いま「ヤバい」「恐ろしい」は立場ではないと言いましたが、しかしながらこうした態度に固執することは、それはそれでひとつの立場です。わたしが直接に話した運営関係者たちはだれも、「反原発ということで、あとはそれぞれがやりたいようにやっているだけ」と口をそろえて主張していました(少なくとも、先方から出演を依頼された「素人の乱ネットラジオ」6月12日では公然化されたやりとりです)。しかしそれは、たんに問いかけをうけた者が自分の立場を「立場のなさ」に見せかけようとするふるまいにしか見えませんでした。

それは、どこにあるのかわからない「ふつうの人の観点」のなかに、自分がすでに置かれている立場を隠ぺいするふるまいです。だれでもないのっぺらぼうの「だれか」への、放射能の恐怖にかられている以外にはいかなる人間的特徴ももたない「だれか」への同一化です。つまりそれは、自分で自分の立場性を裏切ることです。しかもそのような立場は、原発労働者、原発近隣の農村・漁村民、日本の放射能ごみに汚染される国外の人びとのような、3.11以前から放射能にさらされてきた人たちのこうむってきた不平等を覆い隠してしまいます。したがって、「原発ヤバい」「恐ろしい」だけを結集点とする6.11の新宿デモが、たとえ主観的には国民主義を意図していなかったとしても、実際には、政府やメディアが扇動する「がんばろう日本」式の日本人中心ムードとみごとに親和的であったことは、偶然ではないでしょう。

わたしは、いまの「原発やめろデモ」が「素人の日本国民運動」になりはしまいかと、真剣に危惧しています。侵略主義者の登壇を取り下げたこと自体は妥当でしょう。しかし、なぜ針谷の登壇が土壇場になって発表され、また撤回されたのでしょうか。外部での騒ぎもあったにせよ、内部での議論もわきおこったことでしょう。ではなぜ、そのような内部でもあとから問題視されるような決定が、一度は公式に発表されたのでしょうか。そもそもの問題として、運営内部の意思決定にかんする実質的な不平等があるのではないかと推測せざるをえません。

わたしが最終的に言いたいのはただひとつ。いま反原発に問われているのは立場だということです。これはもちろんわたし自身にも返ってくることばです。「原発やめろデモ」の運営側でも、そうした議論が活発化することを望みます。また、先の公開質問状の2への回答も待っています。


ヘイトスピーチに反対する会 柏崎 正憲



追記: 「主張はわかるけどやりかたが理解できない」というご意見もいただきました。でも、(素人の乱界隈は)みんな大好き(そう)な「シアトル以降」の反グロ・アナキスト、デヴィッド・グレーバーも、こういうカウンターアクションの事例を紹介してますよ。ある行動を組むとき、それに乗れなかったら抜ける自由も、また乗れないどころかそんな行動やらないべきだと思ったら、たとえ仲間であれその行動をブロックする自由も確保されている、という事例(「新しいアナーキストたち」『現代思想』2004年5月号をどうぞ)。





コメント

Secret

本当に大切なこと

日の丸掲げたい人はそうすればいいと思うんだけど。

日の丸掲げなれば日本の国を愛してないとかそういう言い方があるとすれば、それはおかしい。
それじゃ、ただ旗を掲げてりゃ日本を愛している事になるとでも。

そうじゃなくて、ふるさとや地域の自然とか人々への愛着とか、どう世の中を良くして行くかとか・・・
そういう中味の方が大切な大元なのであって、旗のこととか「愛国」と言う言葉とかを重要視するのであれば、本末転倒と言う気がします。

あと、中山一也の「日本を誇りに思う」の発言自体は何か問題なのか。
この人がどういう考え方をしているのか知りませんけど、外国や他の民族を誹謗したり蔑視するような考え方なのかどうか。
少なくとも発言それ自体からは、そう言う主旨は読み取れないんですが。

No title

> 反日の丸運動やりたければ、反日の丸デモでも開いてくださいよ
> 何十人集まるかな?

そんなのむかーしからやってるけどけっこう集まるよ。

それはともかくなんか総体として論点がズレすぎてるきらいがある。
ようつべ見たかぎりでは中山一也は思わず出しちゃったという感じではあるな。抗議する側はカッカしてたからああなったんだろうが、それ以外の周りに迷惑がかかってる。
そもそもが受け入れたほうが問題なんだけどさ……。
旗問題ってむかーしから左翼内部でも団体旗問題とかあるんだよな。別個にやるしかないんじゃない?
.

No title

左翼っぽくするのも日の丸だして右翼っぽくするのも両方カンベン!

脱原発は左派の専売特許か?
私はやはり日の丸出しますな

No title

慰安婦とか差別構造とかにすぐに結びつける。
歴史はひとつだけどさまざまな認識があるから、別にあんたたちの認識を否定する理由もないが

ただ、ヨウツベでみると酷いぞ
日の丸を出したやつに無理やり下げさせる権利は誰にある?
皆が個々人の良心で来てるし、日本を愛するから日本を護りたいって論理で脱原発に取り組むやつもいる


反日の丸運動やりたければ、反日の丸デモでも開いてくださいよ
何十人集まるかな?

ん?

党内闘争ってなんだ? 問題点を具体的に書けよ。

あのさあ

> グ○ー○ルの腐敗した指導部に対する党内闘争はどう
> なったのかな?
> 早く貴兄に大将になって欲しいっすo(^o^)o

キミはオレらを裏切ったという意識がないのか?
オレもそう。工人社もそう。首都圏赤黒もそう。
自分のことばかり言わないで。

そっちの「おまわりさんありがとう」事件は知ってる。
運動が昂揚すると出るようになったな。

不思議だが、スピリチュアリズム系やかつて経産省や資エネ庁と共同でナンカやってたとこなんてやっぱヤバいんじゃないの? 右翼との共闘以上のことになることを懸念するよ。確実に経産省と電力は巻き返しをはかるだろう。そのときだよ。問題は。

これはWPNのBE-INとの共催事件が頂点となった。こっちはWPN初期実行委メンバーとしてWPNに警告したけどね。聞きやしねえさ。まあ遅かったよ。

国際支援NGOだってこの10年ヤバいだろ。同じだ。
それぞれ思惑あるんだろうけどさ。原則逸脱だ。

なお、静岡は川勝が悪い。ただし農作物については静岡だけじゃない。

それから除名って言っても松谷本人が聞かないよ。
そうなんだってさ。やっぱ制度圏政治は悪い面が出てるな。
オレは「みどり」メンバーじゃないからな。でも少なくともこっちには関わらせない。原発にも市政にも。
.

マジレス

静岡県産の新茶から放射能が検出されて、フランスに輸出された分からはEUの基準値の倍のセシウムが見つかり、お茶業界はてんやわんや。

にもかかわらず、川勝屁太知事閣下は「風評被害」だの
「安全宣言を出せ」だの脳みそがメルトダウン状態。

静岡の特産品が売り物にならない状況なので、福島原発事故を沈静化させてくれれば、オウムだろうが幸福実現等だろうがタリバンだろうが誰でもいいの(かなり誇張あり)

だから、新宿の騒動はこっちには「おとぎ話」の世界ですよ。

ちなみに、地元みどり市議が仕掛けた「脱原発パレード」では「おまわりさんありがとう」って言ってました。


あさの大先生の会社の社長さんに馬鹿議員を除名するように申し伝えていただきたい次第です・

押忍

あさのたそへ(-_-;)

おいらは、非正規福祉職場て搾取&DQNスタッフとのバトルでヘロヘロなのでどっかのネット
依存症さんと遊んでる暇無いのよねw
それより、グ○ー○ルの腐敗した指導部に対する党内闘争はどうなったのかな?早く貴兄に大将になって欲しいっすo(^o^)o

Re: 神学論争にはウンザリ

具体的に言ってもらわないと困る。

反戦中年委って茶畑進じゃねえのか?
浜岡のことじゃないのか?
どうしたいんだ? 原発の再稼働を求めるのか?
まあ、対権力関係もあるから属性ははっきりさせなくてもいいけどな。
少なくとも読み手にわかるように具体的に書いてくれ。
.

神学論争にはウンザリ

こちらは、県の基幹産業が壊滅しつつある時に、くだらねえ議論してんなよな

asparamad さんへ

了解しました。以上で私から言うことはありません。

ただし植民地主義については、質問状側さんたちの話ですから、ちと展開させていただきます。植民地主義というのはあくまで帝国主義的に体外関係において生じるものだと思います。

もちろん都市―地方でも資本投下と収奪の関係は生じますが、それでは植民地主義とはいえない。もちろん象徴的に使っているのでしょう。

今はもちろん帝国主義段階です。日本においては商工省(まさに原発推進の経産省)によって推進された。戦後補償としての円借款やODAによる企業進出はそのものです。しかし、その段階すら超えているのが現状でしょう。グローバル資本主義の時代なのですから。

実はこの展開も面白いと思います。東京都市圏による搾取・収奪の構造はずっとあったことです。東京は別の国家と考えもいい。

ただし、それだと例えば私の住む柏崎がただの被害者となる。そうなるとグローバル資本を支える地域としての考えが希薄になってしまう。我々は対外的進出の拠点の一部としてあるという意識を持たなければならない。

もちろん重層的構造なのはその通りです。しかし我々が加害者性のある立場にいることを、みずから放棄・喪失することは許されないことだと思っているます。ですから、この問題について緻密であるべきと思ったのです。

以上です。
.

あさの(柏崎市民)さん

下のコメントで申し上げたとおり、わたしは運動の中枢にいる人たちに、誰と誰がいて、どのように意志決定に関わっているのかという内部事情をまったくしらないので、諸個人の責任の比重に関する議論はできません。私がいちばん知りたいのは、彼らが今回の件をどう考えているのか、そして運動を今後どのようにしていこうと考えているのかです。問責したいのではなくて、それはデモに参加する人間として知っておきたいことです。あさのさんが仰るように、責任問題をはっきりさせること、誰のどのようなプロセスで下された決定なのかを明確することでまず始まることだと思うので、そのへんのことがちゃんとなされるように願うばかりです。

また、「植民地主義的」と「植民地主義」の違いにつていですが、ヘイスピ会がどのように使い分けをしているかは知りませんが、私は、品詞の違いぐらいにしか考えてません。植民地主義的な行為原則のことを植民地主義と呼ぶのだと思います。植民地主義の表象は、現代では必ずしも軍事力の強弱を背景にした植民地主義にかぎったものではなく、労働者と企業、中央と地方、大国と小国などの関係において、強者が力の非対称性を利用し弱者をむさぼることを正当化すれば、それは植民地主義だと思います。たしかにゴテゴテした言葉ですし、単なる左翼のジャーゴンとして捉えられそうな言葉ですが、針谷氏の登壇を問題にするなら避けては通れない言葉だとも思います。

私としては、「あいつらは駄目だ」と上から目線の物言いで今回の件を非難するつもりはありません。これをきっかけに、デモのあり方について議論が活発になれば、長期的にデモを続ける上で有意義なことだと思います。

asparamad さんへ(ふたたび)

核心をついた話になってきましたね。今この問題が複雑化している“理由の一つ”は責任が平野さんのみに帰結させられようとしていることです。それはおかしい。いわゆる「実行委」(として表現します)が、総体で受け入れたことであり、その責任を「実行委」が負わなければならないということです。その中心軸は「素人の乱」そのものですよね。それがメンバーシップでないにしても。

このままだと3つのウチ2つがロフトグループにのみ全責任がかぶせられる。そういう「無責任性」が問題だといっているのです。現実は梅造さんなんですけどね(実は平野さんはそんなに動いてないようだ。言うことは言ってるようですが)。彼に多大な課題がのしかかってる。これも理不尽。一般的に左派的にも動くこともあるけど、彼らは「左翼」ではない。だから左翼の論理を突きつけるのは酷です。

そもそも平野さんはロフトを始める前に左翼運動をやっていましたが、解雇攻撃からロフトをたちあげた。しかし今の平野さんは「左も右もない」という立場なんだから当然なんです。「個人情報保護法反対共同アピールの会」の前例もあり、右派とも「一緒にやろう!」となると思います。「そんなのわかってたはずじゃん!」としか言えませんよ。だって平野さんなんだからw 

なおそれが続くとは思えないというのはもう十分釘を刺している。ナショナリズムな方向に行くよりも、別個にやるという方向に行くと思っています。そうでなければ現地が困る! 非常に困る。まあ柏崎現地では変わらずやっているので、すぐに波及する危惧はもってはいないのですが全体がそのようになったら困る。

なお、共同アピールの会への公調スパイ宮崎学の登場はオレら有志グループが阻止しました。阻止したけど、意志の疎通が徹底しなかったため、会場は一時混乱(革マルまで介入してきやがるし……)。そこで登場した鈴木邦男に対してキレたオレはやりあう覚悟を決め、その場で「やろうじゃないか。降りてこいや」ということになりましたが、まあ普段からの運動関係者に止められてりしてそれはかなわず。

結局、そういうことがあったからこそ、オレらは共同アピールの会との合流へ方針を転換しました。必要なのは法案阻止。普段はライターや編集者の会であり問題はないと判断したからです。そして宮学に対して親和的な部分に釘を刺す意味もありました。「絶対大衆運動圏に宮学を登場させない」ということで。宮学はうごめいていますが、阻止状態は今でも続いてる。

だからこの方式をお勧めしたいのですが、今回の場合はすでに左派が多く関わっていたということ。だから問題はなぜそれを周りが止めなかったのか? ということです。実際話をもってきた人間については確定していないけれど、松本君が「いいんじゃない?」と受けたと何人かの証言を得ている。

彼はヘイスピ会をの「質問状」にも、統一義勇軍に対しての対応も進めていない。そして「界隈」の論理――というか馴れ合い――によって「松本免責」「ロフトに責任あり」という方向にさえなりつつあることを憂慮しています。

「運動をやるのにそれは無責任じゃね?」ということ。 それとスジを通してくれということにあります。

asparamad さんとヘイスピ会を中心とした申し入れをおこなった人たちの話はだいたいはわかりました。内容的に「植民地主義的」が「植民地主義」という表現になったり、それが現在のグローバル資本の時代にそぐわないような気もします(一時期新たな海外資本輸出を「新植民地主義」と規定したところがあったように)。

ARE社の問題に言及してはいますが、もっと原発資本は拡大しつつありあす。それを出すなら、かつてから「原発輸出に反対する運動」をやってきていました。かつては台湾、韓国、インドネシアや、最近ではもっと方向を拡大している。東電の武黒(今回の事故でも裏でうごめいてますよ)を中心とした原発輸出に特化した会社を設立している。これこそを問題にすべきだと思います。

というわけでまた返答お待ちしますm(_/_)m
asparamad さんとは対話が成り立っていますが、他の方に質問的に言っても返ってこないで、別個のことを言い出すんだもの。

以前まさにヘイトスピーチのレイシスト(自称行動する保守)、具体的には西村修平周辺と付和雷同連中と延々と論争になったことがありますが「答えない」「新たな誹謗ネタを出す」とか続いてウンザリでした。最後までやりきりましたが、その板は閑散としてしまった。なおアカウントはそのままで、運動界隈用に続けてますけど。
.

あさの(柏崎市民)さん

「自分らも振り返ろうよ」というのはもちろんその通りだと思います。それはへイスピ会のほうも本記事で自戒的に書いています(「わたしが最終的に言いたいのはただひとつ。いま反原発に問われているのは立場だということです。これはもちろんわたし自身にも返ってくることばです」)。「針谷氏登壇に反対なら余計なチャチャはいれなくてもいいじゃないか」とも思いません。批判の内容に問題があればそれも批判されるべきですし、あなたが言うように、議論はされるべきです。

そして、今回の件の責任がどこにあるのか、それは企画の経緯についての説明がないこと、素人の乱やその「界隈」がどのような意志決定をしているのかが分からないので、具体的につっこむことはできません。ただし、平野悠氏が言うように、一連のデモが「ロフトと素人の乱」の共同企画なんだとしたら、彼らが説明をする必要があると思います。

そして、その当の平野悠氏は今回の件についてまったく反省してないどころか、1万2万という数字を嬉々として読み上げ、『「脱原発に賛同するものは左翼も右翼もオタクもスケベもない。一緒に闘おう!」が集結したのだ。』など言っています。もちろん、素人の乱界隈にも、今回の件についてはっきり反対の意を表明してる人がいるのは(あくまでツイッター上でですが)知っています。しかし、今の段階では、針谷氏登壇問題のようなことを制限する方向に自然に向かうとはいえないはずです。ヘイスピ会やその賛同者と「右翼も左翼も一緒に」論の賛同者、どちらが一般的な支持を受けやすいかと言えば、私は後者だと思いますし、ナショナリズムに訴えかけるような動員方法が恒常化しないとは言えないと思います。今のところ、捨ててはいけない「小異」(小異ではないのですが)が切り捨てられる危惧は杞憂になっていません。

私は、こうした運動の下地を作ってきた素人の乱にも、地道に反原発運動を続けてこられた方々にも尊敬の念を持っています。私自身、彼らの作ったリソースに乗っからせてもらうかたちでデモに参加しました。だからこそ、彼らの運動が今後、もっと実りのあるものになってほしいと参加者の一人として思いますし、「一方的な突きつけ」ではなく、自分自身も反原発運動に関わる上での心がけを自問していこうと思います。それは、今回の質問状を読む限りヘイスピ会も同じだと思います。

No title

欧米の左翼 :「○○であるならば△△である。ゆえに□□すべきという結論が導き出される」
日本のブサヨ:「だって、だって、○○さんたちがかわいそうでしょ~」

欧米の左翼 :自分の住む故郷・国をもっと良くしたいという強い思い。
日本のブサヨ:自分をゴミ扱いしてきた日本社会に対する強い怨念。

欧米の左翼 :常に現実と向き合う。
日本のブサヨ:常に現実から逃避する。

欧米の左翼 :自明の原理を疑う。なぜか。新しい哲学と政策を作るために。
日本のブサヨ:自明の原理を後生大事にする。なぜか。内輪で盛り上がるために。

欧米の左翼 :あらゆる既成概念を疑うことから、全ての思考が始まる。
日本のブサヨ:「平等」「平和」「正義」といった薄っぺらい観念をそのまま信じ込むだけで終わる。

欧米の左翼 :あなたの意見は私の意見と違う。
        しかし、私は、そのようにあなたが自由に発言できる権利を全力で守る。
日本のブサヨ:あなたの意見は私の意見とは違う。
        よってあなたは軍国主義復活を目論む右翼であり、アジアの敵である。
        中国と韓国に謝るべきだ。

欧米の左翼 :異なる価値観の交差。
日本のブサヨ:異なる価値観の排除。

asparamad さんへ

もちろんこの問題は「素人の乱」が中心軸となってやった主催したものであるので、回答責任は素人の乱、とりわけ松本君にあります。

素人の乱はメンバーシップではない。松本君を中心とした同心円状のいわゆる「界隈」です。だからといって今回の責任の所在を曖昧にすることは許されるとは思っていません。だから彼にあるんです。

主催サイドという表現だと本当の主催サイドだと思いますが、もっと広くなる。ここがキーポンイントです。本来の「実行委」ですよね。

しかし攻める側にも主催者的な「界隈」と密接なひとはたくさんいるし、複合的な要素をかかえています。だからオレがいま現在憂慮しているのは、素人の乱「界隈」以外のひとにスケープゴート的に責任を及びつつあることなんです。だから「実行委」の中のあるひとに今矛盾が集中してる。でも、主催は「素人の乱」を見られてますよね。実際そう振舞っている。だからそれは責任を負うべきなんです。当たり前に。

問題は「松本君たちはそういう運動の作り方をしてこなかったから責任を負う必要はない」という論調があることなんです。それに関していえば「無責任」としか言えませんよ。

あくまでも松本君――なぜ個人かといえば彼が「素人の乱」を体現している存在だから――が説明責任を果たすべきと思っています。

そもそもオレの“基本ライン”については、今回の「公開質問状」そのものを支持するものです。オレが言っているのはそれに対するチャチャ入れに視えるかもしれない。でもともにレイシストと闘うのなら「自らも振り返ろうよ」ということです。

それからなぜ行き過ぎと考えるかについてです。それは今後まわりが阻止するか、制限する方向に行くからです。無条件にレイシスト右翼と共闘など恒常化するはずがないということです。もっとも恒常化するような運動が続くと思いますか?

つーかオレ自身が今後阻止しますよ。日の丸掲げて、ヘイトスピーチをやる、そういう連中がたくさん来るなら、そんな運動に関わりたくはない。別個にやればいいんです。修平らの「主権回復をめざす会」と共闘はありえません。なぜならこちらがたたき出すが、向こうが一緒にやりたがらないからです。だって修平らはイラク反戦では一致ですよ。でも一緒にはあったりまえにやらなかった。やるわけないでしょう。

ただし、個人として保守的な思想をもっているヒトに対しての制限はできませんよね。今回は登壇させるヒトとともに、その表現に制限を加えなかった(のかな?)。どういう表現になったかは「俳優」某に絡んだ話しか伝わっていないし、質問状以上に、混乱の中で事態がさらにややこしくなっていった事態だと思っています。

もうひとつは一水会―統一義勇軍という存在は、「サブカル」ウヨサヨ政治とって親和性があるということが問題だったと思います。現場との共闘は慎重になるべきであったはずだ。個人情報保護法反対共同アピールの会とは違うのに、無条件に持ち込み、それを追認した。これが問題ですよ。

いま現在問題は3つの方向でややこしくなってる。
そのウチ2つは「素人の乱」が主体的に解決しなければならない問題であるのは当然のことです!

そのへんを「界隈」的馴れ合いに持ち込むことにも反対であると同時に、スケープゴート的に「界隈」からちょっとはずれてところに責任を押しつけて手打ちという方向性にも断固反対します。

くれぐれも言いますが、オレがここで言ってきたのは(オレも含めて)「自分はどうなんだ」ということと、一元的かつ一方的な「突きつけ」に対しなんです。だからいい機会だから議論を尽くすべきだということです。反対してるわけじゃない。オレたちが差別構造を当該抜きで語っていいのか? ということです。もちろん語っちゃいけないってことじゃない。考えようよってことです。

この回答についての返答をお待ちしていますm(_/_)m
.

あさの(柏崎市民)さん

>ただし今回の例をもって恒常的に右翼との無原則な共闘が進むと考えるのは行き過ぎだと言っているのです。もちろん主催者側が解決努力すべきことなんだが……。

なぜ行きすぎだと考えるのですか? 今回、実際に「素人の乱」は針谷氏のような人物に登壇の依頼をしたんですよ? そこにどのような「原則」があるのか素人の乱サイドはまったく説明してませんし、もし「原則」なるものがあったとしても、その「原則」に今回の例が特殊なものだと言えるような根拠があるとも思えません。恒常化、無原則化の危惧は、「素人の乱」サイドが、なんらかの釈明なり説明をしないかぎり無くならないでしょうし、それがなければ、彼らに「解決努力」を望むことはできないじゃないですか。というか、運営サイドにいる人が表明してる「反原発という一致点があれば大同団結する」という「原則」は、そうした危惧の正しさを実証してるように思います。「反原発という一致点」をクリアすればいいというのなら、「主権回復を目指す会」との共闘でさえ「素人の乱」的にはOKだということでしょう。

あと蛇足ですが、「シアトル以降」云々は、下のツイートに関連したものだと思います。

http://twitter.com/#!/intellipunk/status/78870250027884545

さてさて、99年のシアトルでは、趣旨に賛同しさえすれば、ネオナチやスキンヘッズでさえもスピーチの機会を与えられたのでしょうか。

自分らは常に無謬であるのか?

> 針谷氏が、在特会などを批判してるからレイシストじゃ
> ないと主張する人は、ちゃんと彼の書いた文章を読んだ
> ことあるのかな。

了解です。南京虐殺に対して通州事件を持ち出すやり方と、南京虐殺を否定(否認主義)するやり方、さらに小中華思想であった日本をかえりみない思考は右翼特有のものである。
さらに問題は「中国野郎」という表現だな。話にならんわ。これについてはまったくもってその通り。

ただし今回の例をもって恒常的に右翼との無原則な共闘が進むと考えるのは行き過ぎだと言っているのです。もちろん主催者側が解決努力すべきことなんだが……。

さて問題は右翼一般の問題も参加問題もあるが、それだけじゃない。名前を連ねている側の問題はどうなんだ!
ということもある(これは後ほどシッカリと展開させていただく!)。

それから 2011-06-20 21:47 : tomitomi 発言である(以前も書いたがオレもtomitomiを使うのでわかってる方は混同しないでね)。

> あんたたちのようなデモが被災者に支持されるとでも本気で思っているんでしょうかね…

勝手に当該の立場を代弁することがどれだけ危険なことかわかっているのだろうか?
言っちゃいけないとは言わないが、慎重になるべきことではないのか?

さらに「イカレた」とか「基地外」とかヘイスピ会側を無条件擁護する側が書いているのは信じられない。
「これは差別ではない!」のか? 「言葉狩りだ!」とでも言うのか?

あとシアトル以降の運動に素人の乱界隈が云々というのがわからん。誰をさしているのか? あっちこっちの運動体を混同しているのではないか? もちろん「界隈」というのは流動的なのだが「素人の乱界隈」じゃないだろう。つーか素人の乱はメンバーシップな運動体じゃない。

湯浅君やラビちゃんらの運動を「貧困ビジネス」と罵倒し松本君への提灯記事を書き、そしてF労を誹謗した昼間たかしだって、そんなことはわかってるはずだ。

針谷氏はレイシストじゃない?

針谷氏が、在特会などを批判してるからレイシストじゃ
ないと主張する人は、ちゃんと彼の書いた文章を読んだ
ことあるのかな。

>現在君達が取っている行動は、日本人的なもので無く、
>奴らと同じ、中華思想的なものとしかいいようが無い!
>戦前、通州で奴ら中国野郎は我が同胞を残虐非道に虐殺した。
>とはいえ我が日本軍は、南京でその復讐を図ったりしてはいない。
http://www.giyuugun.jp/sb/sb.cgi?search=%C6%EE%B5%FE

要するに、卑しい「中国野郎」のレベルに落ちるなと針谷氏は
言ってるわけだ。これがレイシズムじゃなくてなんなの?
上の引用文の前段では、日本の排外主義が中国側の工作かも
しれないなんて匂わせてるし。

日本人が汚いことをするはずがないという発想で、
日本の負の歴史を隠蔽してきた人間が、日本の差別構造を
問えると思うのか。むしろ矛盾してるだろ。

太平洋戦争を聖戦と呼びながら、アメリカのイラク戦争
を侵略戦争と呼ぶという針谷氏の矛盾した論理が今回もまた
繰り返された。この矛盾に鈍感であることがどれほどわれわれ
から問題の核心を遠ざけるか、主催者はもっと考えたほがいい。

へ会にも一応言っておきたいけど、右というスタンスをとる人
を無分別に「敵」扱いするのはやめたほうがいい。
個人的に鈴木邦男氏を問題にするのはいきすぎだと思う。

問題にするならするで、そういう線引きはどこでどのよう
にしてるのか、たとえば、鈴木邦男氏が問題なら、具体的に
彼の発言のどれが問題で、どのように原発運動と関わってくる
のかちゃんと説明すべきだ。

何もできねーだろがっ!

> 今世間に巻き起こってる“反原発という大義”はそうでない・そうはならないと誰が言い切れます?

そんなこといったらどんな運動でも同じだろが!
どんな運動でもヤバい面をかかえている。

過去の反原発運動だと「母性主義」が強調され、さらに「障がい者」解放運動にとって危険な思想潮流も起きかねなかった部分があった。

しかし、どんな場合でも運動の側で解決しようと努力し収めてきた。思想的に間違った方向に行かないようにと予防線も張ったし、議論・討論を続けてきた。

しかし行動そのものを阻害する言説があるのがわからない。名前を連ねたひとは責任をもって継続するとは思うが(中には「おまいがか?」と思うヤシもいるが)、「言い切れます?」というのは「運動やめろ!」と言われてるに等しい。

現地住民としてはそれでもやめられないですよ。それでも「排外主義につながるからやめろ!」と命令するなら、責任の所在のハッキリした、連絡先のわかるHNを使うなりして言ってくれや。

なっ?

No title

「0に何掛けたって0なんですよ。 」

足し算しろよ。

いつだって差別主義・排外主義は大義の仮面を被ってやって来た。
そして大義が過ぎ去った後に一番生い茂ってるのは差別主義・排外主義。しかも日常化して。

これが今まで何度繰り返されたことか。


今世間に巻き起こってる“反原発という大義”はそうでない・そうはならないと誰が言い切れます?

補遺

そういうば最近になった原発反対っぽいことを言い出した日共はどうなんですかね。

もともと高度の科学技術礼賛主義であり、各地で受け入れ決議に賛成してきた歴史もありますよね。

それから条件つき賛成にかわり、その後はMOX燃料の軽水炉での使用については反対だが、今ある原発については安全性を担保にして認めるという立場です。今でもそのラインからはかわってませんよ。

共産党系原研労組、原研研究員との関係も多いにありました。動燃と統合した原研です。今でも労組は日共系としてありますよ。

おまけに、彼ら彼女らがやってきたこと、やられたことを考えたら、もし登壇させろとなったら、それも怒りますよ。でも広枠ということになったら共闘がありえるんですよ。あなたならどうしますか?

彼らは条件つき賛成だからいい? 安全性をうったえてるからおKですか?

あ、ふと思った。スパルタシストは今回あっちこっち行ってないのかな? 原発と「労働者国家防衛の核兵器」保有支持派なんだけど……。

とにかく対話を継続すべき

私もTomiTomiって使うのでややこしいのですが、あまりにも他者をコケにしてませんか? 議論をしようという姿勢が感じられません。だから挑発に乗ってみましょうか。

あなたのような原則的な方からすれば、私にように長く地元原発立地や東京で反原発運動をやってきた人間も「エセ」にしか見えないのではないかと思います。↓のようなセリフを見るとね。ガッカリですよ。

> 「反原発」名乗りさえすりゃ反原発になるんだから本当にオメデタイ

それでもいいと思いますよ。ずっと反原発運動やってきましたが、ずっと東京運動圏でも結集は少ないもんでした(88年以降ね)。かつての反グロだって、反核だってそうですよ。アフガン反戦とイラク反戦のあいだのデモなんて毎日10数人でしたよ。課題によっては大衆枠でも数人のデモさえあったんです。

さらに、今回はただ数が多ければいいという運動とは違うと思いますよ。その発言は個別参加者の主体性を一切認めていないではないですか。「烏合の衆」って参加者総体に対する侮辱ではないか!? 個々の参加による結集で大きな運動になるんですよ。なお、いっておきますが、このかんの松本君らの運動の作り方・総括の仕方について、一般的な支持はしていません。いろいろありましたからね。ただ無条件支持はしないが、認めるべきところは認める必要はあると思います。それに対して“0に何掛けたって0”とはいったいどういうことなんだ? ボロが出るという上から目線はいったい何なんだ? 「正義」なら突きつけてもいいのですか?

あなたのいう「数の論理」の運動体はあります。そういう傾向の、つまり動員主義の大枠は今回の動きには消極的でした。で、9月開催を目指している。とんでもなく遅い。しかし、そっちのほうが大集会になるでしょうね。あなたのいう「数の論理」とはそっちに言ったほうがいいと思います。

それでもより多く集まったほうがいい。もちろんこのときのために「少数派でも粘り強い運動」をやってきたつもりです。解決してない・できていない運動内の矛盾はまだまだ多いのですが、これからでしょう。現地の現場でもそうですよ。

その前に……。あれ? だれが「数の論理」を出してるんですか? 統一義勇軍の登壇問題を「数の論理」に無理やり歪曲してるのはあなたじゃありませんか? 問題は登壇問題なはずじゃないですか。

確かに責任の所在がハッキリしない運営は問題だと思います。しかし、そこまで突きつけ・突き放すなら、その「筋を通した原則的かつ長く続く運動」を自ら責任をもってやってくださいよ。

オレだって「日の丸」がたくさん上がってるようなところで「国難」だの叫んでるひとが多くいるようなところやイヤですよ。オレだって特定のウヨから何回も肉体的に攻撃受けてるわけです。まあ、別個にやる方向になるんじゃないですかね。

例えば修平らが「脱原発」を掲げだしたという書き込みがありますが、その場合は向こうはこっちと一緒にはやらないでしょう。ちなみ言っておくと、もともと官製右翼は反原発運動弾圧に使われてきた歴史がある。しかし昔から反原発右翼っていたんですよ。

さらに一水会‐統一義勇軍はヘイトスピーチのレイシストを批判してるじゃないですか。それで逆にいわゆる「行動する保守」なるくくりから攻撃を受けている。

といっても一水会‐統一義勇軍支持してるわけじゃありませんからね。彼らと私は基本的思想ではまったく相入れるころはありません。

だからこの公開質問状に対して反対してるわけじゃないんです。ただ、一部どうも釈然としない部分もあるし、大衆的にやる際の手法の問題も含めて議論を尽くすべきだと思います。

松本君ら(の一部)は統一義勇軍を受け入れた。しかしそれをよしとしない人たちは別個でやればいいんです。オレならそうしますね。さらにスタッフとして実務をしながらもそういう問題が起きたら、やはり議論しかないでしょう。

今回は地理的な面もあり、仲間がかかわってるということの中で起きたために、声明に名を連ねたひともいますね。

しかし元々は別会場に行くつもりだったのに、わざわざ新宿でこの件を突きつけたひともいる。じゃあその彼がイラク反戦のとき、右翼や明治神宮や天皇主義スピリチュアリストと親和的だったことの整合性が取れません。そのへんに非常に違和感を覚える。ご都合主義です。

とにかく対話と議論を続けること。そのために他者を一方的に決めつけて誹謗中傷的なセリフで罵倒することはやめるべきだ。

「とにかく原発止めれば後はどうでもいい」では失敗は必定

問題提起がされてここまで議論しても,なお正面から答えることができずに「数の論理」ばかりを振り回している情けないコメントが延々と続いているようですね。0に何掛けたって0なんですよ。
一言言うとすれば「あのデモが成功だったとかうらやましいとか,ヘイスピ会の人々は思わないだろう」ということです。「反原発」名乗りさえすりゃ反原発になるんだから本当にオメデタイ。じきボロが出るさ。あんたたちのようなデモが被災者に支持されるとでも本気で思っているんでしょうかね…
いずれ実験結果が出るんですから,まあ気の済むまでやってみられたらいかがですか。どうせ責任もウヤムヤに雲散霧消していくのがオチでしょうけど。

こと主張についてはヘイスピ会を支持するし,まあ他にうまいやり方があったかもしれないとしても筋を通したことだけは認めねばなるまい。それに比べて「数の論理」以外言うべきことのないヤツらは「烏合の衆」と言う以外にないですな。

基本的に、概ね、同意します。最大の問題は、何の戦略もない素人の乱と、共闘しようとされていることでは、ないでしょうか。多分、彼らとの共闘は、不可能ではと。

No title

批判的な人たちは、
主権回復を目指す会なんかのレイシストグループも今は脱原発派になりましたが、
やっぱり同じ脱原発という目的のため、こいつらとも協力できるんですよね。懐広いですね。

言葉遊び

言葉遊びと自己満足。
繰り返される歴史。
人が苦しんでるんだ、とにかく原発止める。
話はそれからだ。

なんだよ!

祝島以外の、例えば柏崎の運動は切り崩されたことになっとるのか! あー腹立つ!

こういう紋切り型の「交付金でウハウハ」という住民への視座こそが、まさに「差別」だとなぜ自覚できないのだろうか。こういう言説が多すぎるのです。推進派によるものだけと思っていたが、ここでもそうなのですね……。

立地の皆が分断され沈黙させられれてるって? 敵=国家権力―電力資本の巧妙な工作により、沈黙を強いられる雰囲気や推進的意見が醸成されることは確かにあります。しかし本当に皆が黙っるとでも思ってるのでしょうか? 交付金によるハコモノ建設など一部の地域ボスらにしかカネはまわらないのが現状ですし、一般的にカネなんかに屈しませんよ。こういう構造に叛旗を翻して市政を変えたりもしている。巻は住民投票で建設を拒否した。MOX燃料の使用も刈羽の住民投票で阻止した。このように各立地は地道ながら動いている。それに過去の反原発運動の歴史を歪曲しないでほしい。苛立ちを通り越して脱力しか残らない……。

かつて議会での決議や公開ヒアリングなどなど、どれだけの血が流されたか! ……子どもだったので直接見ることはできなかったけど。三里塚の支援から、さらに支援に来た人たちも多かったようですが、こちらの反対同盟として三里塚へ行って交流したひとたちも多いし、当時の話を聞くと私が驚くくらいです。

2002年の損傷隠し発覚では「維持基準」を導入し法改正して、経産大臣平沼を迎えるために、県警警備は住民説明会に金属探知機まで持ち込んで住民を追い返した。それでも斗っているんです。

もちろん東京の華々しく、かつ多数の、“自立”なさってらっしゃる方々の運動に比べると、全く目立たないかもしれない。

しかし粘り強くっやってきた歴史があるのです。どこでもね……。それがわかってもらえないのがとてつもなく悔しい!

東京で止めろといえば止まると思ってるのでしょう。いいじゃん。そういうひとは多い。それで止まるのならそれでいい。

しかし海江田が表明したような形での13県での再稼働が問題となっている今、立地住民や原発下請け作業員(どういう構造で、何次請けまであったかわかってるのですか?)との共闘なくしてできるのだったら、別個にやればいい。

まあ、在特会らのトンデモ原発推進派を先に相手にすることですね。チャンネル桜とかね。河内屋去ったあとの草莽会は独自展開はできまい。あ、修平とかはどうなんだろうね。修平らに殴られ小突きまわされたオレとしては気になるなw

一水会 - 統一義勇軍がヘイトスピーチを叫ぶレイシストとは思えません。「思想が問題なのだ」という話ならどんどん議論すべきでしょう。

もちろん私が構造的にあらゆる問題、つまり女性、障がい者、被差別部落、在日外国人に対して「差別者」であるという日帝本国人のオトコであるという認識はもっているつもりです。

もちろん私もここで語られている国柱会の持ち出した「八紘一宇」など認めません。では近衛の「昭和研究会」はなんだったのか? 満鉄調査部は? 「社民主要打撃論」は誤りだったとは思いますが、ファシズムとスタ(いやレーニン主義でもいい)との経済の近似性など掘り起こすべきことはまだまだたくさんあるはずです(ついでに書きますが国柱会が裏部隊としてヒロヒトの誕生日を「昭和の日」にしたという事実を知っていたひとがどれだけいるでしょうか?)。

次は、この事故の前に少し騒ぎになった放射線管理区域作業員のとりわけ、「在日」を攻撃したウヨ厨メディアと公安の問題を書きますね。

そして、この件の松本君の問題は確かにあると思っていますし、さらにはこの声明に名を連ねている栗原学君の多重スタンダード問題へと続きます。

柏崎くん

八紘一宇の意味を狭くとらえていないかね?

目指すべきは「全国民的」を否定し排除することではなく、「全国民的」その他の多様な価値観を共存させることではないだろうか。
排除からでは対話は生まれない。
たしかに日の丸、全国民的、に象徴される価値観はこの国では多数派かも知れんし、他を圧倒し圧迫する圧力であるかもしれん。
しかし排除すればいいのかな?
他の価値観が台頭するだけではないのかな?

数に関係なく多様な価値観が共存出来るようなパラダイムシフトこそが求められるのではないか?

ヘイスピ会にはそこんとこ頑張って欲しいなあ。

日の丸掲げるの認めて総力戦て欺瞞でしょ

「松本哉は、新宿駅前でのデモ後集会の最後に「総力戦で」原発を止めようという呼びかけをしていました。」・・・しかし、日の丸を掲げた右翼が壇上で演説することを認めたら、集会に参加できない、あるいはするわけにはいかない在日朝鮮人ら外国籍人が出ざるを得ない。「総力戦」という言葉自体が欺瞞なのである。
「反原発一点で運動するから在日は黙っていろ」とでも?反原発デモは全国民的となりながら排外主義色を強めつつあるのではないかと疑わざるを得ない。

No title

どう思うんでしょうかね。
被災地にいる方々は。
この文章を読んで。

No title

反原発運動を、自分たちの主義主張を述べるために利用しているのがよく分かりました。貴方は反原発運動を単なる道具としてしか扱っていません。

国民運動でなければ勝利できない

立場ということを言われるわけですが、立場の違いはひとまず置いておいて構わないと思いますけどね。

とりあえず反原発で一致出来ればいいと思います。

核兵器反対運動でも、そうなんじゃないでしょうか。
反核運動が実際の核兵器使用を抑制する大きな力となっているのは否定出来ません。

その反核運動に参加したり支持したりする人たちの立場はそれぞれ違います。
金持ちもいれば貧困な立場の人もいたり、資本家から
自営業者、労働者と様々でしょう。

しかし反核という一点で結集できる。
みんな核爆弾が炸裂するのはご免なんです。

反核運動で、世の中の差別構造が変わることはない。
貧困が無くなるわけではない。
そういう差別や貧困に対処する運動は、また別なものだと思います。

色々な立場の人が参加して行くのは運動が拡がっている証だと思います。
限られた人たちによってだが、粘り強く訴え掛けられて来たことが今国民運動となることによってようやく実を結ぼうとしている。
そのように考えられてはいかがでしょうか。

国民は放射能の被害者

>原発問題の根底にある差別構造

過去に原発による放射能被害が一部の人たちに押し付けられて来て、その人たちの犠牲のうえに原発がなりたって来たのは事実だと思います。

そして今も原発事故による放射能被害を特に受けている人たちは厳然といるわけです。
「早く事故を収束せよ」との声のもと、そういう声が大きければ大きい程に事故現場で無理な作業で被曝の危険に曝される人は増え続けている。

だから、原発がなりたつためには差別構造があると言うのは分かる。
そして国民の多くがそれを認めて来たのではないかというのもその通りなんですね。

しかし今やっと一般の国民も放射能の恐ろしさに気付いた。原発が生存のうえでも経済の面でも大変な被害を及ぼすことを理解しはじめた。
それで原発をなくそうと思い始めた。

それでいいんじゃないかと思うんですけどね。
仮に原発が無くなったとしても社会の中に張り巡らされ差別構造は厳然と残るわけですよねえ。
しかしそうだとしても、その暁には差別構造による放射能被害も減らせて行けるんです。
もちろん原発解体やら廃棄物処理の大問題は残るにせよ。
少なくとも、このまま原発が存続することよりは、はるかにマシだと思いますよ。

とりあえず今は放射能被害をなくしていくという点で一致して国民運動ができるのじゃないでしょうか。
また、そうしなければ実際に原発を減らす無くすー放射能被害を減らす無くすーという方向に持って行く事は出来ないと思いますよ。

差別構造の問題と右翼

>原発問題が労働問題、地方差別や殖民地主義の問題のうえに作り出されています。

その文には概ね同意します。
しかし、だからと言って「侵略主義や植民地主義を肯定する人物」が反原発運動で発言してはいけない事に持って行くのは無理がありますね。

原発からの廃棄物処理のひとつの方法として、どこか外国に持って行くという点が問題なわけで、他の労働問題や地方差別よりは比重は明らかに小さい。
まして、その廃棄物を出す原因となる原発を止めようと言っているのならば特に問題視することではないと思います。

また「侵略主義」とのことですが、そういうことと原発問題を直接結び付けることは難しいですね。


次に在日外国人がどう思うかです。
現実として、在日の人や長年差別に苦しめられて来た人たちが右翼団体に関わっているのは事実なんです。
そうならざるを得ない現実的な理由はあるわけです。
で、その団体の政治的な建て前は別として、実際には差別に反対しないわけがないんです。
そのあたりの事情がわかっていれば、右翼が反原発運動に参加し発言することを特には問題には出来ないんじゃないかと思いますが。

まず反省表明を

柏崎さん

あなたの考え方は分かりました。
同意出来る人も同意出来ない人もいると思います。

しかしながら、まずは人の発言を阻止したことについての反省が必要なんじゃないかと思いますよ。

主催者の予定になかったとしても、そのことがわかったのは後になってからでしょう。
予定にないからと言う理由で止めさせることが出来るのは主催者だけだと思いますけどね。

主催者の立場と参加者の立場はやはり区別して考えなければならないと思います。
主催者の立場に対して意見を言うのは自由ですけど、やはり行動では主催者の立場を尊重しないといけないと思いますが。

率直に自分たちの行動について反省の意を示さなければ、どんなに立派なことを訴えられたとしても大衆には受け入れられないと思いますね。

自己欺瞞

i-263どんなに御託を並べたところで、
どんなに説得力のある長文の持論を展開したところでムダです(^w^)
もう詰んでいるのだから。

少なくとも「反差別」「反排外主義」を標榜しながら、
異なる価値観、世界観を持つ者に対して「偏見」を持ち、
非寛容・狭量の態度を示すことが

「 自 己 欺 瞞 」

である、と判らない時点で「ヘイトスピーチに反対する会」は終わっています。

No title

大変勉強になりました。

原発推進の背景というか根元にはアウトソーシングの思想があるように思います。そういう意味ではヘイトスピーチに反対する会と考えは同じです。しかし、いま現在アウトソーシングに夢中なのは右翼よりもむしろ非保守の新自由主義派やリベラルに属する人たちのように思えます(まっとうな左翼はアウトソーシングに反対だったように思えます)。たしかに右翼は過去の戦争に関しては正当化しますが、少なくとも現在は島国根性を発揮して海外への進出や海外からの人・物の移入には否定的なわけで。新自由主義者やリベラルは、外国と仲良くすることで労働力・物資・市場・環境負荷をアウトソーシングすることに現在進行形で熱心なわけで。
「侵略主義者は反原発の集いに参加するな」というならば、むしろ愛国心ならぬ“愛異国心”を声高に叫んで友好的なふりをしながら外国を侵略・収奪しているリベラルこそ排斥すべきでしょう。侵略者は外国と仲良くしようと言いながら事を推進するのですから。

> 「立場のなさ」に見せかけようとしたふるまいに見えてしまう

というのも一方的なあなたの解釈に過ぎませんよね。

一方的な解釈による理論を積み重ねていった結果は一方的なものにならざるを得ません。

一方的なものであってもあなたたちが独自にやる分にはまったく問題ないのですが。

No title

第二の在特会を目指したいんなら、この路線を貫くのは正解です。頑張ってください。

No title

デヴィッド・グレーバーはユダヤの二重スパイです。
貴方も「差別」を横文字で使う辺りあちらの「one world」主義の下僕でしょう。

今回のデモは宗教団体が動員され
大声を出している人は何故か目が釣り上がっていますw

さらにツイートを見てみると彼らは日本をエジプトやチュニジアの再来にしようと喧嘩しつつも左右ともに思想が統一されていることが伺えます

この人はデモによって日本の底値買いを手助けする悪魔の手先です

もう一度ハッキリ断言します
貴方はユダヤ側のスパイです

No title

あのデモの大きな力になったのは、主催者の思惑にかかわらず主義主張関係ない「原発はもういや」な人たちでした。にも拘わらず「主催者の思惑は左翼的な思想に基づく社会の是正」と主張し自分たちの手にその成果を引き戻したいとおっしゃるのならご自由にどうぞ。
本当に救うべき人間のことを忘れて自分たちの正義に酔いしれ引きこもる、昭和の過激派左翼集団と何も変わりません。

ただ、どのような主張をしようとも
「あのデモの成功は自分たちの主張が正当だったためであり、その功は我らのものである」
などとは決して言わないでください!

勝手にしろって感じなのだが

柏崎さん。
紹介しているデビットなんちゃらっていう人の言葉もデビットさんが言っているに過ぎません。
あなたたちに素人の乱のデモや集会を「阻止する自由」があるのならあなた方に批判的な人達全員、あなたたちに批判的な全ての団体にあなたたちの行動を「阻止する自由」があります。

「反原発の一点で集まる」という「最低限のライン」でやっていこうとした「素人の乱」は違う立場の「ヘイトスピーチに反対する会」をはじめから排除しようとしたでしょうか。

してないですよね。

あなたたちの「立場」は尊重したいと思いますが、あなたたちが他の立場を尊重せず妨害するのであればあなたたちに対して批判的にならざるを得ません。
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livingtogether

Author:livingtogether
Mail: livingtogether09 (@) gmail.com

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