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第2回学習会 報告に代えて 

ヘイトスピーチに反対する会 第2回学習会
「差別糾弾・確認会」とは何か? その理念、意義、課題から学ぶ
~ 八鹿高校事件の経緯を踏まえて ~
講師: 浦本誉至史さん
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-122.html

 いわゆる「八鹿高校」事件(1974)は、日本共産党と部落解放同盟の対立を激化させた事件である。この事件を評価するとき、事件が起こるまでの経緯が重要な問題であることを、浦本さんは強調した。それは兵庫県が、江戸時代までのいくつかの「くに」の統廃合をへて形成されたことにまで遡る。人と人との「間」には、幾重もの隔たりが張り巡らされており、分断と対立をつくりだす。そして戦後の部落解放運動の足跡がこの事件に深く刻み込まれているのである。

 浦本さんは次のように説明した。八鹿高校事件の背景には、部落解放運動における主導権をめぐる政治的な対立があった。この事実によって「差別をなくす」という理念は、大きく捻じ曲げられてしまったのである。差別撤廃の理念が政治的対立の中に溶解していくときに生じてくる問題として、「差別をなくす」という「メッセージ」は、「差別するもの」に直接届かなくなってしまう。なぜ、差別は行われ、なぜ、差別はいけないのかということが、「差別するもの」に直接届けられなければ真の問題は解決しない。

 実際、「差別するもの」は、「差別されるもの」のことを全く知らない。だから、自分が差別をしているとは思っていない。その点が問題の根幹であると、浦本さんは繰り返し指摘した。差別は、「差別をするもの」の「無知」に基づくのであると。「差別するもの」の「無知」とは、「差別されるもの」を無視し、差別的状態を放置することであると。つまり「差別されるもの」の労働条件や住居などの劣悪な生活環境を無視し放置すること、このことが「無知」の本質である。「差別するもの」に自分自身が「無知」であることを気づかせること、このことが最も重要な課題なのであると、浦本さんは語気強く訴えた。

 浦本さんのお話を伺いながら、次のように考えた。差別は、単に他者に対する言葉や態度の中にだけ現われるのではない。多くの外国人の就労がそうであるように非正規労働者が無権利状態に置かれているということは、経営者の利益につながっている。差別は何らかの利益としっかりむすびついているのだ。ヘイトスピーチを行うものは、この事実を完全に無視している。さらに政治的利権をめぐる国家間の競争と対立が、「わたし」と「あなた」とを結びつける通路をふさぐ「障害物(バリア)」になっているのである。

 現在、都会では駅のエレベーターやバスのスロープは、あたりまえに享受されている。しかし、私たちがあたりまえに享受しているものは、障害をもつ人たちによる川崎バスジャック事件(1977)など多くの闘争をへた結果としてある。だれでも「乗っけて」くれるバスが、あたりまえになると過去の葛藤は、人々の心からしだいに遠のいていく…そういうものなのだ。

 だが歴史の進歩というものは一つの幻想に過ぎない。かちとられた自由と平等が、根こそぎにされる可能性は、いま、まさに、間近に存在する。この危機的状況の根源は、ヒーローを待望し、「わたし」と「あなた」の問題を他人まかせにしようとする人々の性癖にある。

 しかし、強い希望をもって過去に投げかけられた「投瓶通信」は、いまも、いつも、「あなた」の「心の陸地」へと向かっているのだ。

(文責:鵜威棲)
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