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「6.11新宿・原発やめろデモ」の報告への批判



当会有志が「6.11新宿・原発やめろデモ」実行委員会に出した「公開質問状」への回答は、まだ返ってきていません。
ところが数日前、6.11実行委のウェブページに、こちらの質問状への回答らしき数節をふくんだ「報告」が公開されました。http://611shinjuku.tumblr.com/post/7724014059/6-11
しかしそれは、回答をはぐらかしているどころか、事実を意図的にねじまげて、こちらがわの抗議者にたいする不当な非難まで含んでいる始末です。


1.

わたしたちが質問したのは、「どういう経緯、どういう趣旨で、植民地主義と差別に親和的な主張をする人物をスピーカーに起用することになったのか」でした。
それにたいして、6.11実行委の報告には「「原発に反対なら誰でもOK!」という確認を踏まえ、一任された集会担当者が依頼し」たとありますが、それがこの質問への回答と見ていいでしょう。

しかしながら、当会有志の質問状では、たまたま右翼がデモに参加したかどうかではなく、「当該団体をはっきりと把握したうえで特権的なアピールタイムをもうけ」たことが問題であると、はっきり指摘しています。
なぜ侵略主義的な右翼活動家をわざわざ選んで発言させようとしたのか。そのことによって6.11デモをどのようなものとして演出しようと考えたのか。
この「報告」は、それにたいする回答をまったく欠いています。

くりかえしますが、わたしたちが問題にしているのは、反原発という趣旨とは別の趣旨をもって主催者がデモ参加者を排除するかどうかではなくて、主催者がわざわざ侵略主義的な右翼活動家を選んでなかよくしようとしていることであり、つまりデモ参加者ではなく主催者の側の政治性です。
侵略主義的な右翼活動家を登壇させることで、どうして「誰でも参加OK」な集まりを演出したことになるのか、そこをたずねているのです。
6.11実行委はそれについて答えていません。あるいは答えることを避けているのかもしれませんが。


2.

逆に実行委報告には、6.11当時の抗議者への非難もふくまれていました。

「集会中、ある人たちによって、意見の違う発言者にヤジを飛ばしたり、マイクを奪ったりという行為がありました! ヤジはまあヤメロとまでは言えませんが、発言の妨害はちょっと感心できませんね…。いろいろ文句があるとしても、今後、集会の妨害はナシでお願いします!」

この一節は事実を意図的にねじ曲げています。
集会での抗議の経緯は、当会ブログですでに公開しましたが、もういちど確認しておきましょう。とくに関係する箇所は下線で強調しました。

_________

集会もなかばに差しかかったころ、ある俳優が「福島でこんな災いを受けねばならない理由は、日本人は世界に誇れる民族だから」と壇上から発言したのにたいして、わたしたちは「レイシスト」と抗議しました。するとその俳優が「文句があるんだったらいつでも来い」と言うので、わたしたちはステージ脇にすすみました。

ところが、そのときステージ周囲にいた主催関係者は、わたしたちの話を聞くこともなく、突き飛ばす、腕を引っ張る、抱きつくなどして制止に入り、「いつでも来い」と言った俳優とわたしたちが話すことすら妨害したのです。

するとそのさわぎのさなか、日の丸をもった男がステージに近づき、なぜかそこにいた鈴木邦男(かれも主催?)に促されてステージ裏に登り、「ぼくはふだんは左翼だけど、きょうは針谷さんのために日の丸をもつ」などという不可解なことを叫びます。そこで、わたしたちのひとりがマイクを奪い、またもみあいとなりました。

その後わたしたちはすぐに、日の丸をかかげた人物がステージに上がり発言したとについて、主催者に問いただしました。すると、原田と名乗る人物が呼んできた松本哉が主催者として以下のように回答しました。

1. 日の丸をかかげた人物の発言は主催の予定にはなかった。
2. その人が勝手に上がってしまった。


針谷の起用を取り下げておいて、日の丸をもった人が台にあがるのをぼんやり眺めているというのも奇妙な話です。ならば少なくとも主催がそのことを参加者に説明すべきだと要求しましたが、そんな必要もないんじゃない? とひょうひょうとしているので、ならばこちらからも発言させるよう要請しました。その結果として、当日参加の有志のうち柏崎が、反原発運動の国民主義化への異論を壇上で話しました。

過去記事「6.11新宿・原発やめろデモ集会で何があったのか」

「素人の日本国民運動? 6.11デモ公開質問状への補足」も参照。

_________


このように、こちらがマイクを奪うまえに「日の丸をもった男」が「勝手に」壇に上がり、反原発とは無関係な話をはじめたのです。
こちらがマイクを奪うことが妨害なのなら、この日の丸男の行為も妨害のはずだし、ついでにそれを促した鈴木邦男も(主催者でないなら)妨害者です。
むしろ、反原発の趣旨とちがうこと(針谷のために日の丸うんぬん)を予定もなく勝手に壇上で発言しようとした人物を制止しようとした(成功しませんでしたが)のだから、主催者「報告」の立場からすれば、わたしたちは主催者に貢献したとさえ言えます。

それとも6.11実行委は、日の丸の肯定的意義をうんぬんすることは反原発の趣旨にかなっていて、それをやめさせようとすることは反原発の趣旨に反するのだと認識しているのでしょうか。


3.

「原発を一日も早く止めること」が重要なのはたしかです。しかし、原発が止まっても、放射能の放出は止まりません。
福島原発ではたらいている労働者や周辺住民は、事故以前から、深刻な被爆の被害にさらされてきたし、いまも現在もさらされつづけているのに、まともな補償は行なわれていません。

現在、日本の放射性廃棄物の永久保存先として、モンゴルなどの名が出されています。
福島がそうされてしまう可能性だって、ありえないことではありません。
また、補償のさいに国民主義的な排除のシステムがはたらくことにも警戒しなければなりません。
たとえば、すでにいまも郡山市の朝鮮学校だけが、行政による校庭の放射能汚染除去対策から、さも当然のことかのように除外されています。(日刊ベリタ記事

原発問題はこうした国益主義的、植民地主義的なおしつけ構造とセットであり、それらを切り離して原発だけを問題にすることは、反原発という課題それ自体からみても後退でしかありません。
そのことは「公開質問状」ほか、今回の件にかんする一連の声明で指摘してきました。
しかしながら、そうした問題提起は、6.11実行委の「報告」文書をみるかぎり何の影響もあたえなかったようです。

あくまで「さらなる大盛り上がり」を目指していればそれでいいのでしょうか。
それは、原発をついに止めることのなかった昔ながらの動員主義と、なにがちがうというのでしょうか。
それに「素人」「雑多さ」「若者運動」「シアトル以後」といった装飾を施して、差別構造に気づかぬふりをするのではなく、原発を支え動かす差別的な政治と社会を問題にすることこそ、大切なのではないでしょうか。

わたしたちはもはや質問ではなく、6.11実行委を公式に批判します。
また、原発政策をささえる差別的な政治・社会構造にも届きうるような反原発の議論や運動を広げていくことを、6.11デモの参加者・非参加者を問わずすべての人に呼びかけます。



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