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【講演】部落解放運動の経験から見た人種差別撤廃条約(友常勉)後編


もくじ / 前編 / 後編


差別禁止と権利保障

以上、個別部落解放運動の経験とダーバン会議の経験を踏まえたうえで、今日のディスカッションの中で役に立つような論点を僕の方から話してみたいと思います。人種差別撤廃条約と差別禁止法をめぐる一般的な争点ということです。

人種差別撤廃条約は、第1部が定義と様々な履行措置で、第2部が手続き論になっています。第4条は、「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。a項「扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言、b項「人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること」、そしてc項「国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めない」。第4条はそのような内容です。

実は第5条は、同じ問題を扱いながら、向かっている方向が少し違います。第5条は権利保障が主張されています。「あらゆる形態の人種差別を禁止し及び撤廃すること並びに人種、皮膚の色又は民族的若しくは種族的出身による差別なしに、すべての者が法律の前に平等であるという権利を保障することを約束する。4条と5条は二つの違う方向を向いている条項です。

4条を中心に考えるか5条を中心に考えるかで、締約国あるいはさまざまな国の差別に対する取り組みが変わります。ややラフに分けてしまうと、4条は差別禁止、「表現の自由」も抑制する強い規制ですね。団体活動を犯罪として処罰する。そういう方向での差別禁止法を採っているのは、イギリスやフランス、ドイツ、ニュージーランド、オーストラリアなどがあります。憎悪扇動、ハラスメント、出版など、差別擁護の禁止を規定しています。イギリスの人種関係法もすごく厳しいですね。ニュージーランド、オーストラリアは国際人権裁判所と直結しているので、ある意味で第4条がそのまま踏襲されているような内容です。フランスは「反人道罪」が生きている、生かせるように運動を作ってきた歴史を持っていますので、そのような意味での差別禁止法を持っています。

これに対して権利保障の方に比重を置いているのはどこかというと、僕はアメリカだと思います。アメリカの「公民権法」は、実は権利保障の方を重視する法律です。これは僕の言葉になりますが、「表現の自由」は一定保障します。マイノリティの権利保障、保障拡大の法体系に向かっているんです。権利保障、補償、施策体系を通してその中に差別禁止条項を包括する。あるいは差別禁止条項そのものは、時にはその中で抑制もされます。アメリカの公民権法は、segregation、黒人はこっち、白人はこっちというように完全に分けられていたのを、それは差別だからさせないということです。ですから、それが整備されて雇用、公共施設、教育における差別禁止という表現になっています。ただ、同時に1964年公民権法は、アファーマティブ・アクションも一緒に決めました。つまり権利保障ですね。マイノリティの人口比率に応じて、優先的に雇用や教育を保障するという施策です。実は、日本の同和対策事業はアファーマティブ・アクションにすごく近いんですね。インドでもダリトに対して行われていますが。

だから、アメリカではネオナチがデモをするのは禁止されていません。州による違いまでは僕もちゃんとカバーはしていないですが。ただそれに対して、それが具体的な公共の場面で、公民権の、日本で言えば市民的権利の阻害になるのであれば、それは差別の禁止の条項に当たるということで、積極的な是正が必要になります。

ちなみに、ここまで言っていいのかどうかわかりませんが、三日前までアメリカでリサーチをしていたせいもあって思ったことです。今、オバマが「移民制度改革法」に着手して発言をしています。いわゆる不法移民を移民として認める、アメリカのシチズンとして受け容れる(移民とシチズンは少し違うので正確ではありませんが)。つまり、不法移民というステイタスの「不法」を取る、ということなんですね。500ドルの罰金を払えば合法移民になれるという施策に着手をしようとしています。恐らくそれは、いろいろな議論の中ではマイノリティ票を獲得するための口実なのではないかとも言われていますが、実はそれに賭けている様々な不法移民がアメリカにはたくさんいて、30年ぐらい不法移民でホームレスをしている人なんてたくさんいるわけですね。30年間もそういう状態にあるアジア系の人たちも含めていますから、そういう境遇の人たちがこの制度改革法に期待をすることはあるだろうと思います。ともかく、これもまた権利保障という概念の拡張・拡大の方向を採っています。

ですから、差別禁止と権利保障・保障の拡充化という二つの方向、第4条と第5条はある意味で相互補完的ということも考えようによっては可能ですし、しかし違う方向に向かっているとも言えます。そして、それに基づく法体系を持っている国の差があるということが言えます。


日本政府の法意識と人種差別撤廃条約

では、日本はどうでしょうか。差別禁止法そのものに関して、僕が部落解放基本法や1980年代の議論の中で見てきて思うのは、やはりそれを実際に実効的に使うための大衆的な世論や組織がないと、国内の刑事法体系の中の厳罰化、あるいは警察権力が私事に介入する危険性を伴うということです。ですから、差別禁止法は必ずそれを考慮しながら考えなければならないと思っています。同時に、そうなると日本では、そもそも法意識や法風土の歴史的な考察が必要になるだろうと思います。

第4条的な地域・国家と第5条的な地域・国家の二つの法意識を述べましたが、実は、あいだを採っているのがたぶんインドかなと思います。インドのケースに関して言うと、権利保障を重視し、その中に差別禁止法も包括する。しかし、それでは実際のカースト差別は済まないので、国内の法体系の中でどんどん厳罰化が進んでいるように思います。厳罰化が進んだからといって、みなさんご存知のように、最近のカースティズム、インドカースト資本主義はもっともっと暴力的になっていて、ダリトの人たちに対して、殺人を含んだ激しい暴力がふるまわれています。

もう一つの論点は個人通報制度です。個人通報制度を日本国政府が認めない理由は何かというと、端的に言って国籍条項だろうと思います。日本国憲法の第14条の国民の権利、第15条の公民権、第16条請願権、第17条国家賠償請求権、それぞれ「国民の権利」の中に一括されています。日本政府が実際に「司法の独立」というときに、その「司法の独立」は、公民権、請願権、国家賠償請求権それぞれが、「国民」だから許容されているわけですね。それは「国民」に保障されるという立場なわけで、「国民」であることを前提として司法は遂行される。だから「司法の独立」とはつまり、それは飽くまで閉鎖的な国内的な法ということです。それを侵害されるような国際法の優位は認められないというのが本音だろうと思います。それと同時に、つまり国内法の優位に対して国際法を定義するのは、国家利害を優先するということだろうと思います。

実際、「司法の独立を通して」とか「個人通報制度を認めない」という作文をした時の外務省の中で、はたしてどういう議論があったのか僕はわかりませんが、例えばこういうことを考えて書いたのではないでしょうか。在日韓国人・朝鮮人、そして中国人その他の在日外国人が、日本国内で様々な市民的な生活において権利侵害を受けていると国連の人種差別撤廃委員会に通報する。その場合、何が起きるかをまず考えるということですね。あるいは、沖縄の基地の集中の状況に対して沖縄住民が通報したらそれはどうなるか。いずれも間違いなく人種差別撤廃条約に抵触すると思います。恐らく、そういうことに対して最初にディフェンスを張ったということが、個人通報制度を妨げている要因ではないかと考えています。つまり、憲法を根拠にした彼ら法務官僚なり外務省なりの問題意識はそういうことなのではないかと思います。


「未完のテキスト」を使うということ

三番目は、もっと抽象的な話です。日本社会の法意識の問題はやはりどうしても考えざるを得ないのではないかと思うので、レジュメに付け加えておきました。現在の自民党の改憲草案が出たおかげで、どうしても憲法の歴史などを勉強しなければならなくて、読み直したりしながら思うことです。

戦後憲法は第9条を持っていますから基本的に平和憲法ですが、第1条に象徴天皇制が置かれているように、そして様々な任命や外交使節の応接に関して天皇が用いられるように、それ自体は大日本帝国憲法の枠組みを継承している部分があります。帝国憲法は三大天皇大権を持っていました。国防、外交、官制です。そのいずれも象徴天皇的な役割が現在の憲法の中に残されています。ですから、現在の憲法は旧憲法の名残を濃厚にとどめているわけですね。それは、国家主義的な家族主義、国民主義の立場を採った家族主義に解釈することが可能です。それが先ほど申し上げたような「司法の独立」の一つの枠組みを作っているのではないかと思います。

もちろん、「国民の権利」の中には個人主義もきちんと保障されています。ですが、それはむしろ国民主義と個人主義が並置しているのが現行憲法の性格であると理解したほうがいいのではないかと思います。そうすれば、どちらを解釈していくかによって、憲法の運用が変わるということになります。「国民」を戦前憲法との連続の中で考えるか、それともそこに混ぜられている個人主義・個人の権利を守るという方向で解釈し運用する方向になるか、そういう立場の幅を孕んでいるのが実は憲法というテキストなんだと思います。

ですから、いったん、国民主義的な、あるいは国家主義的な方向に解釈するとなれば、基本的には憲法にかかわる問題は法務官僚やお上に任せておけばいいという意識もありますし、あるいは官僚の側からすれば国民に任せる必要はない、ということになります。実際、現在の自民党の改憲草案を見ると、あの中に法学者は積極的に参加してないと言われていますが、間違いなく官僚は作文には参加しています。つまり、民主党政権や自民党政権で様々に首相が代わりましたが、あれは政権が代わっても国家的な運営が安定することが可能な自民党改憲草案です。次に自民党の代わりに民主党が政権を取ったとしても、改定された憲法は生きるように出来上がっています。ですから、あそこには濃厚に官僚主義が反映しています。「国民」ではなく、政党でもなく、官僚が、きちんと国家を運営できることが可能な体制が憲法の中に盛り込まれています。それがいつも可能なようになっています。ですから、官僚主義的な国家主義というものが孕まれていると思います。法制度はやはり市民が監視しきらなければいけないと思います。

そういう意味では、日本国憲法だけでなく一般的に言えることですが、憲法とは「未完のテキスト」ですね。完成されたテキストではなくて空白部分がいっぱいあるので、我々が書き込まなくてはいけないテキストなわけです。だからそういう意識で憲法は使わなければいけないんだろうと思います。恐らくそれは、人種差別撤廃条約のように、非常に細部まで書き込まれたものに関しても言えるのではないかと思います。


運動の経験から

最後にそのような観点で、部落解放基本法制定要求運動などの経験から思うことをレジュメに書いておきました。
一つは、個別人権闘争の歴史的成果です。こちら側から憲法を解釈していくということですが、そういう蓄積を批判的に読み直す必要があるだろうと思います。八鹿高校の裁判の大阪高裁の判決は、糾弾権を認めた画期的なものでした。しかし、裁判所は判決に、日本には被差別者への積極的な権利の保障や、差別的な経験や被害を受けた際の救済措置がないということも盛り込んだんですね。それを運動は、「それ見たことか」と、やはり救済措置が必要だ、部落解放基本法が必要だという議論に傾いたんですね。

しかし、解釈としてそれはどうなのでしょうか。裁判所は「救済措置がない」と言いましたが、それを運動がどのように受け止め、理解すべきかは、実は批判的な理解が必要だったのではないかと思います。ですから、人権闘争は必ず歴史的成果を蓄積してきたと思いますが、それをどういう方向で読み解くかがやはり求められると思います。

それからもう一つは、アメリカの公民権とアファーマティブ・アクションの組み合わせがもちろんベストとは言いませんが、やはり僕がどうしてもそちらの方向で考えてしまうのですが、全体の総合的な差別からの被差別者・マイノリティの権利保障の中に、差別禁止をどう包括するかという発想が重要ではないかと思います。ですから、差別禁止もやっぱりある程度の抑制が必要、つまり時限あるいは制限が必要なのではないかと思います。それと同時に、法的な規制、救済保障のような拡充を進めることを考えていってはどうだろうかと思っています。いずれにしても、これは運動が作り上げることですので、運動の中で実体化していけばいいことであって、飽くまでも問題提起にすぎません。

なお、補足として、日本政府が批准していないものの中で、今日ちょっとだけ紹介しておこうと思ったのは、国連の障害者権利条約です(補注:この講演報告のあと、2013年12月4日、日本の参議院本会議は、障害者基本法や障害者差別解消法の成立に伴い、国内の法律が条約の求める水準に達したとして、条約の批准を承認した。日本国の批准は2014年1月20日付けで国際連合事務局に承認されている)。これは障害者の自己決定権というのを非常に主張に強く打ち出した法律で、2006年に採択されたものです。権利条約の部類の中ではずいぶん新しい方ですね。“Nothing about us, without us!”と言っているように、障害者が自立して地域で暮らすと言ったら、それに関して行政・国は万全の保障をしなければならないということを伴う権利条約です。

しかし、現実にそんなことはされていません。行政の窓口はこんな権利条約があることも知らないし、生活保護と障害者に対する施策が一緒に組み合わせで保障ができるということを知らない窓口もある。だから、窓口で闘うしかないことが多いです。そういうことも突破できるような権利条約なのです。

だからそういう意味では、やはり問われているのは運動なのだろうと思います。なお、これには雇用差別の禁止も含むということであって、これは恐らく人種差別撤廃条約の差別禁止条項と絡んでいるのでしょう。ですから、人種差別撤廃条約の中で日本政府が認めていない、差別禁止と個人通報制度を突破することは、このように障害者権利条約の中に生産的に有効に跳ね返っていくことだろうと思います。




【講演】部落解放運動の経験から見た人種差別撤廃条約(友常勉)前編


もくじ / 前編 / 後編


はじめに

冒頭で司会が言われたこと、それから本日の会の呼びかけに基本的に賛同し、講師を引き受けました。

人種差別撤廃条約をめぐっては、国内法と国際法の関係をどのように整理するか、国内国外の国連でのロビー活動など、様々な手続きが必要になると思います。そのあたりについては、議論の中でも出るかもしれませんし、経験者の方がいらしたら、その中で補うことができるのかもしれないと思います。

私が用意したのは、主に部落解放運動の経験の中で、人種差別撤廃条約という問題がどのように扱われてきて、どういう文脈の中で活用されてきたのかということと、そこから見た限りで、人種差別撤廃条約を具体的に実効的に実行あらしめることは、どういう責任・課題を伴うものなのかという話です。そういう意味では少し限定された角度からの話になります。


人種差別撤廃条約と部落解放運動

人種差別撤廃条約と部落解放運動・部落問題のかかわりが問題になるのは、一つは人種差別撤廃条約の第1条第1項で、人種、皮膚の色、それから「世系」descent、民族的出身、種族的出身等々の定義が出てきます。その中の「世系」、「世襲的」とも解釈されますが、そこが問題になるのが大きなかかわりの発端になります。

この人種差別撤廃条約の批准をすすめ、なおかつそれを日本における国内の部落差別や、部落差別を含む他の差別問題の中で生かすために、解放運動、部落解放同盟が中心になって、反差別国際運動IMADR(The International Movement Against All Forms of Discrimination and Racism)という組織が結成されています。最初にそういういきさつを説明しながら、論点を説明していきたいと思います。

IMADRの創設とその背景ですが、個別の差別問題を採り上げてやっていくときに、一つの差別問題を解決していくいろいろな法律があります。部落解放運動、部落問題・部落差別に関しては、同和対策事業、同和行政がありました。1965年に審議会が政府内で答申を出して、それに基づいて69年から79年まで、最初の「同和対策事業特別措置法」が出されます。これが82年まで延長しましたが、時限立法でしたので、最初の10年間のあとは細かく延長しながら、最終的には2002年で終結をします。

時限立法であるということは、法律がなくなると、それまで行われてきた被差別部落に対する様々な施策が打ち切られることを意味していましたから、解放運動の中では対案が必要になりました。対案として総合立法を計画していくわけです。それが「部落解放基本法」といわれるものでした。それが時限立法化しないような法的施策を構想したわけです。

この制定要求運動があって、これを国内的に進めつつ、国際的に世論を形成することが大きな動機だったのではないかと思いますが、そういう動機の中で1988年にIMADRが結成されていきます。当初の予定と狙い、その後の流れは違っていたかもしれません。国連のNGOとして登録を進める中で、主張は必ずしも部落差別に限らないで、世系全体、世系差別全体に広がるような差別の問題の解決に向けて取り組むNGOとして成長していったと思います。

こうして「世系に基づく差別」の承認を国際的に進めることと、国連でのロビー活動が展開されていきました。他にも様々な団体が、人種差別撤廃条約を批准し、批准させ、その実行をさせるための取り組みをしてきましたが、解放運動の場合はこのIMADRというNGOを通してそれをしてきました。

他方、そういう運動のもとで、国内的には部落問題・部落差別に特化して「部落解放基本法」の制定運動をしてきました。先ほど言いましたように、これは特別施策から特別立法を目指すような国内法の設置要求でした。細かい話は本に書いているのでここでは端折りますが、結果的には「部落解放基本法」を作るという運動は失敗していきます。

私の総括ですが、広汎な差別の禁止、権利保障、それから保障要求へとまとめきれずに国内世論の形成に失敗したのではないか。つまり、部落差別だけの解決を求める総合立法、特別立法を作るというリアリティを、世論形成に持っていくことは多分できなかったということが一つあると思います。


解放運動の中の差別

こういうことを言わなければいけないのは、実は、部落解放運動それ自体が、1950年代の戦後の出発点から、内部に人種差別を孕んでいたからです。同和対策事業、同和行政の発端において、ある意味で国籍条項がネックになって、被差別部落に対する様々な施策の中から、その居住地を同じくしていた在日韓国朝鮮人が排除されていくという問題がありました。解放運動はずっと、その排除の事実を総括しきれずにきたと思います。その点がもしも80年代に共有されていれば、「部落解放基本法」制定要求運動はまた違ったものなったのではないかと思います。

ある特定の差別に反対する運動は、それによって分割線を引いてしまいます。もう一つの差別を作り出すということが歴史的に実際に起きてしまうんですね。もちろんそれほどラディカルに起きたわけではなくて、居住地の中で被差別部落と在日朝鮮人の運動が共闘できなかったという記憶としては残っていますし、そこからの排除があったという記憶は在日朝鮮人の人々の中には残っていますが。実際にはその後1970年代になって、様々な運動の中でやはり朝鮮人の集住地域に対する施策も次第に進められていきました。その中では、被差別部落の青年たちとの共闘も進んでいったということは付け加えておきます。

ただ、いずれにしても、ある特定の差別、一つの個別の差別問題の解決を主張すること自体が、もう一つの差別の温存につながってしまうという歴史的な経験は確認しておきたいと思います。


部落解放基本法と個別闘争、大衆運動

それからもう一つ、部落解放基本法には、被差別部落に対する差別的な言辞・差別的な表現に対する法的な禁止・制約が盛り込まれていました。もちろん保障も盛り込まれていますが、それ以外に部落解放運動が様々な差別糾弾闘争として部落差別をなくしたり、あるいは被差別部落の人権を尊重したりということで培われてきた様々な歴史的な経験が、どれほどその基本法要求運動の中に反映されていたかということが、あまり意識されていなかったのではないかと思います。

もちろん作文をする際にはそういうことは意識されていましたが、基本法というように法制定をしてしまうと、ある意味で、運動団体の代表と法務省のやりとりの中に短絡的に結実していきます。ここではやや硬い言葉で「法的な抽象化」「官僚主義的な普遍化としておきますが、つまり法務官僚の作文にゆだねられて、実際の大衆運動としてそれをどこまで展開できるのかが問われることになったわけです。

実際に憲法に依拠してでも、被差別部落に対する差別はいけない、と。それから実力闘争、実力行使です。糾弾闘争は一見して私的制裁行為と見られますが、憲法の範囲の中で容認される自救行為であるという判決も出ていました。八鹿高校裁判は、学校現場で起きた差別事件に伴う、被差別部落と学校の教員たちとの間で発生した事件ですが、その中で糾弾権が問われた裁判でした。1988年3月に大阪高裁判決が出た時には、僕もその場にいました。そういう意味では、今ある実際の憲法や人権などの条項を通してマイノリティの権利を承認させる成果を引き出すことは十分可能だったし、成果はあった、ということです。しかし、そういう個別闘争の成果を反映できなかった。これはつまり、同時にどのように大衆運動と結びつけるのかということではなかったかと思います。

そういう経験があって、つまりIMADRを通じた国連での運動と国内での基本法制定要求運動、あるいは部落解放運動がうまくリンクできないまま、部落解放運動の中で人種差別撤廃条約という問題が残っていたと思います。それはつまり、部落解放運動・部落問題・部落差別と人種差別撤廃条約をどう結びつけるのかということが宿題として残った、ということだと思います。実はこのことが2001年ダーバン会議でも問われることになります。つまりこれは国際的な問題で、どの国でも発生する問題です。


「差別禁止」「個人通報制度」と日本政府

次に、人種差別撤廃条約の経過についてです。第1条第1項に盛り込まれていた「世系」という概念についてのやりとりは、非常に大きな問題を孕んでいます。人種差別撤廃委員会は、それぞれ締約国からの報告に基づいて、様々な一般勧告あるいは最終見解を出します。その中でその都度、国内におけるある差別についての定義を行い、それに対してその国が是正するように勧告を行います。

カースト差別は世系差別に該当するとインド政府に対して勧告しています。それが2000年のネパールでも勧告され、2001年バングラデシュでは、被差別部落・部落差別もそうであると勧告されています。つまり、カースト差別や部落差別も「人種差別」なのだ、国連、世界の常識においては人種差別として扱われるべきなのだ、ということです。

2002年、一般勧告の29ですが、さらにもう少し踏み込んだ定義がされます。これは前年南アフリカで行われたダーバン会議で持ち越された課題が残っていたからです。ですから、その課題に答えるためにこのような勧告が出されました。「世系に基づく差別がカースト及びそれに類似する地位の世襲制度等の集団の構成員に対する人権の平等な共有を妨げまたは害する社会階層化の形態に基づく差別を含む」。これは拡大解釈すると、様々な貧困が累積していった結果、ある特定の居住地に住む集団がマイノリティ化していく場合、これも人種差別に当たるという、それぐらいの解釈が可能な概念です。貧困が累積した結果、それが人種差別につながるということなんですね。

だから、特定の民族や出自、あるいは宗教、言語に基づくマイノリティという、19世紀的な起源をもつ人種主義という概念ではない人種主義が今、適用されているということです。そして、実際それに基づいて、世系差別という概念は大きく拡大されました。アフリカの様々なカーストに類似した社会集団、セネガル、マリ、ガーナ――イギリスは移民社会そのものがその中に南アジアのカースト差別を包括していましたからそうなりますし、韓国のペクチョン、モーリタニア、ナイジェリア、エチオピア等々、世系差別の概念・適用範囲を拡大していくという経過を持っていました。

先ほど触れました日本に対する最終見解ですが、これが重要なのは、アイヌ、部落民、韓国朝鮮人マイノリティ、沖縄のコミュニティ、難民まで含んでいることです。ですから、人種差別撤廃条約の実行を求める運動は、少なくともこの概念の中に出てくる様々な対象を外してはならない、ということになります。

それぞれについて全部を網羅できませんでしたが、人種差別撤廃委員会に対する日本政府の最終見解の特徴を挙げておきます。まず部落については、依然として「世系には該当しない」と政府は言っています。つまり、人種差別撤廃条約の対象ではない、ということです。

次にアイヌですが、1990年の段階では、先住民の国際的定義が不在であるということで、アイヌについての言及は避けていました。しかしその後、国連の「先住民の十年」の取り組みの中で「旧土人保護法」の廃止と「アイヌ文化振興法」の設置に基づいて、日本政府は画期的な転換を遂げます。それが2008年で、アイヌ民族を先住民として認めるということが出されました。2010年の委員会ではそのことが評価されました。

さらに沖縄については、この2011, 12年、国連が一番注視しているところではないかと思います。委員会からの情報提供要請に対する外務省の一番新しい回答では、「沖縄県居住者、出身者は人種差別の対象とならない」と日本政府は言っています。そして沖縄に基地が集中していることに対して、現在日本政府は「負担軽減に取り組んでいる」と言っています。これは1990年代から変わっていません。つまり、沖縄に対する態度は一貫してこのような態度だということです。

在日韓国朝鮮人に関しては、この場合他の様々な生活レベルでの差別もありますが、朝鮮学校の卒業生の大学受験において大検を必須としていたのを、2003年に大学の個別審査にゆだねるということに変わってきました。

そういう意味では、人種差別撤廃条約を批准した締約国としての日本は、依然としてこの人種差別撤廃条約の主旨、第1条第1項をきちんと認めているわけではないということ、ただし前進がないわけではないということも言えます。

それから人種差別撤廃条約には、第4条のa項とb項に差別の禁止という条項があります。もう一つは個人通報制度というのがあります。この二つは非常に問題になると思いますが、これに対して日本政府は、「第一に差別禁止に関しては憲法と抵触しているからまずその履行に関しては留保すると言い、さらに「右留保を撤回し、人種差別思想の流布等に対し正当な言論までも不当に委縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとることを検討しなければならないほど現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていないと2001年の最終見解で述べました。これは基本的には撤回していません。ただ、このように日本政府が言辞を書いたことは非常に重要で、逆に言うと、これを根拠にして差別禁止に関する議論を進めることはできるかもしれません。

それから個人通報制度です。締約国は、それぞれその国の制度に準じてですが、人種差別撤廃条約上の人種差別に該当するような特定の差別事例があった場合は、国連の委員会に通報が認められています。しかし、それに関しても日本政府は認めていません。理由は、一つは司法権の独立の侵害であるということです。もう一つは、一応三審制度を採っているし、法務省人権擁護委員会制度もあるということで、国内の救済手続きの体系がある、それを混乱させる恐れもないわけではない、というようなことを言って、言い逃れをしています。その後、その時々の見解の中では、人権擁護法案を出しているとか、あるいは法務省の人権擁護制度などを盾にしてその必要はないとも言ったりしています。民主党政権期の2010年の4月には、外務省の中に人権条約履行室が立ち上げられていました。しかし現在は機能していないと考えられています。

このような経過が人種差別撤廃条約をめぐる政府見解の一連の流れです。


「人種主義」概念の拡大

今述べてきた人種差別撤廃条約が、もう一度国連レベル、世界レベルで焦点化したのがダーバン会議です。2001年8月28日から9月8日まで南アフリカ・ダーバンで開催されて、各国の多くのマイノリティのNGOが代表団を派遣しました。日本からも、部落解放同盟を含めて、女性団体も先住民の団体も参加しています。南アジアのダリトの団体も大きな代表団を派遣しています。そこで問題になったのは、国際社会の中で人種差別撤廃条約がどのような争点を持っているかということでした。

宣言や行動計画はホームページから見ることができるので、レジュメには詳しくは書いていません。開かれた場所が南アフリカでしたから、宣言では、人種主義と植民地主義の深い関係、そもそも人種主義は植民地主義から生まれたということがはっきりと述べられることで、アフリカの様々な人たちの犠牲と被害の歴史が明記されます。それから行動計画の中でも、行政措置の実施要求は各国に対して勧告されるという宣言文が採択されていました。

ですが、実は会議は大きな争点を孕んでいました。二つ挙げておきます。もっとたくさんあるのかもしれませんが、私としては二つにしておきました。一点目は占領の問題と占領(occupation)がもたらす人種主義ということ、二点目はカースト差別をどのように人種主義として承認し、それに対する取り組みを進めるかということ、この二点だったと思います。占領について一番焦点化していたのはイスラエルによるパレスチナの占領です。その中のNGOのスローガンにならえば、「シオニズムこそがアパルトヘイトである」ということでした。

ところが、この議論が議題になった2001年9月4日の会議では、アメリカ政府代表団が会場から退場します。歴史的な事件だったわけですね。それに対してアメリカのNGOは全員沈黙してしまうということが起きた。バーバラ・アーウィーというアメリカからの参加者の言葉を借りれば、「これが、アメリカが最初にやった態度表明だった」ということなんですね。問題なのはアメリカそのものが持っている利害体質、国家利害こそが、世界の人種主義の主たるリソースだということです。だから、人種差別に反対するということをある意味で越えていくこの問題を、どうすれば問題化できるのかが問われると思います。

もう一つは、南アジアのダリト差別、カースト差別です。これが日本の部落差別の世系の問題とかかわっています。インド政府は一貫して、ダリト問題は国内問題であり人種差別ではない、という立場を採っています。もちろんインド憲法はダリト差別を禁止しています。その後、何度か厳しい立法措置を取って差別を禁止する方向で進めていますし、厳罰化の方向に進んでいると言えます。ただし、国際社会においてこれを人種主義として俎上に載せることに関しては、一貫して拒否し続けています。ですから、国際世論を以てダリト差別に対して何らかの措置を講じるようにインド政府に求めることが求められていて、インドのダリトのNGOたちもそれをしてきました。

つまり世系の問題は、同時にこれを進めるということは、人種差別撤廃条約の水準からいうと、インドのカースト差別にどのように取り組んでいくかということと深くかかわる、ということです。そういう意味で、先ほどちょっと紹介したように、ほかの南アジア各国が持っている世系の差別がその中に孕まれることになります。だから、世系差別というのはある意味でパンドラの箱です。先ほども言いましたように、これは、累積されていく貧困が作り出す差別が、人種主義的な差別になるという意味合いを含んでいますから、そういう意味でもパンドラの箱なんですね。人種主義という概念の拡大が可能になっています。

さらに、ヘイトスピーチに関しても2013年9月9日に一番新しい一般勧告35が出て、combating against hate-speechという記事が入ったかと思います。ヘイトスピーチそのものの定義はあいまいではありますが、第4条の規定対象とされています。そして第5条の権利保障が適用されるべきだ、と委員会は発表しています。これも議論の中では参照されるべきだろうと思います。



【講演】部落解放運動の経験から見た人種差別撤廃条約(友常勉)もくじ

ご本人の許可をいただいたうえで、昨年9月の講演スクリプトを公開いたします。
(文字起こし/ヘイトスピーチに反対する会)

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ヘイトスピーチに反対する会 第1回学習会 人種差別を日本からなくす! どうすれば? (2013年9月16日)

部落解放運動の経験から見た人種差別撤廃条約
友常勉(東京外国語大学教員)


はじめに
人種差別撤廃条約と部落解放運動
部落解放基本法と個別闘争、大衆運動
解放運動の中の差別
「差別禁止」「個人通報制度」と日本政府
「人種主義」概念の拡大
(以上、前編

差別禁止と権利保障
日本政府の法意識と人種差別撤廃条約
「未完のテキスト」を使うということ
運動の経験から
(以上、後編




ケーススタディ・これが法の名のもとに行われる民族差別です

ヘイトスピーチに反対する会は、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会の一賛同団体です。さる7月28日、この「連絡会」で6月に行ったデモ・集会における決議文を、文部科学省に提出しに行きました(公式報告)。これには反ヘイトのメンバーも参加しましたが、そこで行われたやりとりは、「法の名のもとに行われる差別とはこういうものなのか」ということをまざまざと教えてくれる、なんともわかりやすいケースであったので、解説つきで紹介したいと思います。
※ 朝鮮高校の無償化排除をめぐる経緯と問題点については、つぎの記事もごらんください。
「日本政府は「高校無償化」をネタにした在日朝鮮人への弾圧をやめろ」


1.官僚は「純技術的に」差別政策を推進できる

提出時にはあわせて何項目かの質問への回答を、対応に現れた袖山禎之担当官(初等中等教育局・主任視学官)にもとめました。まず聞いたのは、文科省の委託による「検討委員会」がどのように話を進めているのかということ。この「検討委員会」は、現時点では保留中となっている朝鮮高校への無償化適用を、最終的にどうするのかを決めるための前段階として、適用の「基準」を検討しているとのこと。

ではそもそも、なぜ朝鮮高校についてだけ特別に「基準」を検討しなければならないのか。これがすでに差別的待遇ではないのか。

それにたいする袖山担当官の回答はこうでした。「無償化」法の「制定規則」(参考)は、「各種学校」にこの法が適用される要件として、「外国の学校教育制度」または「文部科学大臣が指定する団体」によって認定されているかどうか(つまり本国確認ができるかどうか)という点を定めている。しかし朝鮮学校は、日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交がないため、この基準には入らない。だがこの基準とは別途に、文部科学大臣が「〔日本の〕高等学校の課程に類する課程」をおいていると認めた場合にも、適用は可能となっている。この第三の基準のなかで検討を進めているために、朝鮮高校への適用には時間がかかっているのであって、決して文科省は外交の問題を教育の問題に持ち込んでいるのではない。つまり、朝鮮高校への適用の遅れは、あくまで「純技術的な」問題である、とのことでした。

さて、こんな説明には、多少なりともこの件の経緯をニュースで見て知っていれば、誰も納得できないでしょう。ことの発端は、今年2月における中井洽の「朝鮮学校を無償化から外すべき」という発言でした(参照)。もともと「各種学校」全般も適用対象として準備がなされてきたはずなのに、中井の働きかけの結果として、朝鮮学校だけを除外するさらに細かい基準(本国確認の有無)が設けられたのです。あるいはそれが、中井発言に関係なく文科省が独自に設けた基準なのだというならば(現に中井発言は無関係だと袖山担当官は何度か弁明していました)、それは文科省が率先して朝鮮学校を他の各種学校から区別したこと、つまり文科相が率先して朝鮮学校を差別したことを意味します。(そもそも、朝鮮学校が戦後ずっと各種学校あつかいを受け続けていることもまた問題なのですが。)

いずれにせよ問題は、現行の「無償化」政策の基準が、わざわざ朝鮮学校だけをほかの各種学校とは別の適用カテゴリーに置いていることにほかなりません。文科省は、まず先に手続きのなかに差別を組み込んでおきながら、「わたしたちは差別していない」「純技術的に手続きを進めているだけだ」と言い張っているわけです。国家機関による差別は「純技術的に」おこなわれるということを、教訓として覚えておいたほうがよさそうです。


2.検討委員会は人権問題については検討しない?

袖山担当官の耳を疑いたくなる発言は、まだまだ続きます。

国家機関による「技術的」検討ということには、現行の法律や条約(憲法における基本的人権の条文や人種差別撤廃条約など)に照らし合わせて矛盾がないかを検討するということも含まれるはずだが、その点はどうなっているのかという質問がありました。それにたいして袖山担当官は「そういう憲法や条約にもとづく人権の配慮は当然なされているという前提で(!)、「高校に類する課程」かどうかを技術的に検討している」と回答しました。

なにを根拠として「憲法や条約にもとづく人権の配慮は当然なされているという前提」がなりたつのでしょうか。この発言にはとりわけ怒りの声が強く挙がりました。

過去記事にある指摘をくり返しますが(これこれ)、朝鮮高校はすでに地方自治体で助成金の申請などするときにカリキュラムを提出していますし、朝高卒業生の大学受験もすでに多くの大学(国公立大学含む)で認められています。それゆえに、「純粋に教育の問題として検討している」と言うならば、四月の時点での適用除外と、検討委員会による調査という措置そのものの意義が、非常に疑わしいものです。

このように、ただでさえ存在意義の疑わしい「検討委員会」が、人権上の問題についてすら検討しないというならば、いったいほかの何を「検討」しているのでしょうか。


3.「反対の立場からの意見もある」――差別政策の責任のアウトソーシング

朝鮮高校の無償化排除をめぐる報道以来、朝鮮学校への嫌がらせや暴行事件がいくつも起こりました。このことについて、文科省はみずからの責任をどう認識しているのかを尋ねました。

予想できることですが、返ってきたのは「関知していない」「差別はせず、純技術的に検討を進めるだけ」という官僚答弁でした。しかも、別のやりとりにおいてですが、袖山担当官は「反対の立場からの意見も多く寄せられている」と、つまり朝鮮高校を排除せよという意見も寄せられていると、無責任にも言い放ったのです。

「反対の意見もある」? 無償化排除の報道以降、校舎に卵が投げつけられたり」、初級学校生が「おまえ朝鮮学校だろ」と絡まれて無理やりランドセルを開けられたり、そういう露骨な差別行為がいくつも起こっている。それを煽った責任は、きっかけを作った中井洽ら右翼議員のほか、4月時点での無償化排除を決定した文科省にもあるだろうと、わたしたち連絡会は言っている。文科省に寄せられているという「朝鮮高校を排除しろ」という電話やFAXも、あなたたち(内閣や文科省)が煽ったもの以外の何ものでもない。そういう差別扇動の責任を、排外主義者の苦情電話に転嫁するな。――このような抗議がつきつけられましたが、袖山は苦し紛れの官僚答弁をくり返すだけでした。

***

朝鮮高校への無償化適用にかんする結論は、8月中には公開される見通しのようです。適用が決定される(その場合には4月にまで遡って適用となるとのこと)見込みは低くはないようですが、仮にそうなったとしても、わたしたちは文科省や政府の言動への注視を怠らないほうがよさそうです。

「検討委員会」が適用に傾いているとすれば、いま「委員会」や文科省は、それをどう中井のような右翼議員に対しても言い訳のつくかたちで発表するか検討している、ということは大いにありうることです。無償化適用にどのような「右翼への言い訳」がつけられるかによっては、今後の朝鮮民主主義人民共和国との外交や、在日朝鮮人の権利状況について、どんな悪影響をもたらさないとも限りません。

たとえば、「外交上」朝鮮政府に圧力をかけることそのものは認めたうえで、それを「教育」の問題と分離することにより、朝鮮への圧力外交それ自体は容認し扇動するかもしれない。あるいは、ブログ『日朝国交「正常化」と植民地支配責任』が別な事例について指摘しているように、無償化の適用に「過去の植民地支配への反省」などという理由をつけて、4月時点での無償化排除が現在進行形の植民地主義的な差別であることをごまかす可能性があります。つまり、今回の無償化排除をめぐる一件が、「最初に〔在日朝鮮人の権利にかんする〕基準を下げられるだけ下げておけば、その後のちょっとした譲歩が日本政府の「反省」を示す好材料としていきてくる」ので、「日本政府としてはむしろもっと在日朝鮮人を差別し弾圧したほうがよい」という教訓として悪用される可能性もないとは言えません。

それゆえに、仮に朝鮮高校への無償化適用がなされたとしても、その後の政府の言動は厳しく監視していくべきでしょう。


【追記】

朝鮮学校以外の、現在「無償化」の適用を受けていない外国人学校(多くのブラジル人学校など)についても、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会として、あわせて質問しました(こちらも参照)。袖山担当官じしんは部署が違うのではっきりとは回答できないが、ブラジル人学校についても別の部署で検討委員会がもたれているとのことでした。

あわせて、フリースクールや定時制の学校に通う学生にとっては、無償化政策が実質的に負担増になること(たとえばこのように)についても、対策を考えていないのか尋ねました。これについては「検討がなされているという話はまったく聞いていない」という回答が返ってきました。

以上のように、高校無償化という政策は、いわゆる「日本の普通の高校生」とは別の生きかたを選択する人、あるいは選択せざるをえない人にたいしては、実質的な制約や負担(あるいはペナルティ)となっています。

(K)



【何が問題なのか】 4. 差別主義者は法律がお好き?

どんな時代のどんな社会においても、法はありました。ということは、歴史の変化にしたがって法も変わってきたということです。ということは、法の根拠は人間の社会生活にあるということです。この最後の点は重要です。決して、法律があるから人間や社会があるわけではないのです。

その点をふまえたうえで、法というものが、社会における差別という現実に対して決して中立ではないということ、ゆえにそれは問われ変えられなければならないということを、考えてみたいと思います。

>参政権は国家の主権者は国民であるという事です。
>権力者が国家の主権を国民から奪う法案に賛成するのですか?
>他の国の国民の主権はそれぞれの国の国民が尊重すべきなのではないのでしょうか。(偽りではない真の平和主義者より)

その「国民」という考えかたそのものの閉鎖性・排他性が、そもそもの問題です。

他の民主主義国家では、まず《市民権》という考えかたがあります。つまり、人はまず「社会への参加」をもって他の社会成員を互いに認め合い、それを中央や地方の政府が市民権として追認する、というかたちです。この考えかたにおいて、「国家の成員」という意味での「国民」であるかどうかは、少なくとも形式的には、生まれや文化や民族などに縛られることはありません。

しかし、日本における「国民」は、非常に血統主義的です。近代日本の「国籍」という概念は、市民権とは違い、その国家に帰属していることを国家が「上から」認める、という性質のものです。そのうえで、「上」が国籍を認める・認めないの基準が、血統になるというわけです。日本がこのようなやりかたをとるかぎり、つまり「社会への参加」ではなく「血統」でしか国籍を認めないかぎり、「在日朝鮮人は日本国民になればいい」という主張は支配者の理屈でしかありえません。

このように、この国では「国民」の範囲が非常に狭く閉じられているからこそ、「国民」から排除される人びとへの権利承認の問題が、「外国人」参政権というかたちで問題化しているだけです。あくまで問題は、民族的・文化的他者を政治主体として承認できるかどうかでしかありません。それができないかぎり、日本社会は差別という現実を抱え続けるでしょう。繰り返しますが、法律があるから人間や社会があるわけではないのです。

>サヨクが外国人参政権法案を推進してるけど、
>サヨクは元々、一般市民の主権なんか認めていない。

いろいろと論理が倒錯しています。まずそもそも、外国人参政権法案の推進それ自体は、別に「サヨク」じゃなくても推進します(小沢が左翼なわけないでしょ)。それと、外国人参政権を認めることと、「一般市民」の権利を否定することが、いったいどう結びつくのでしょうか(国籍に関係なく、同じ社会のなかで生活している人はみな「一般市民」です)。そこで否定される「権利」があるとすれば、それは「一般市民」がマイノリティを劣位に置く「権利」だけでしかないでしょう。

ところで、「主権」という言葉を誤用している人が多くいますが、そんなに法律談義をしたいなら、もうすこし法学の基本を勉強してほしいものです。主権とは、個々の市民や国民ではなく国家がもつものであって、個々人の権利を「主権」とは言いません。「国民主権」とは、国家の主権の根拠が、王様や貴族ではなく、集合体としての「国民」にあるという思想の表現です。そして、この「国民」という概念が日本ではどれほど閉鎖的なものであるかは、上に述べたとおりです。

>でも簡単に説明すると在日韓国人は大韓民国の国民です。だから彼らには大韓民国の選挙権も被選挙権もあります。
>現在の大統領も元々在日だし、過去には国会議員も何人か出ています。
>このような人達が更に日本の選挙権を持つとは、つまり2重の選挙権を持つことになります。
>しかも最終的に日本の運命に責任は持たなくて良いのです。

まず事実誤認をただしますが、まず、イ・ミョンバクは日本敗戦のときに朝鮮半島に戻っているので、いま言われている「在日韓国人」ではありません。
そのうえで指摘したいのは、ここにはっきりと、政治参加が「特権」であるという、日本ならではの閉じた発想前記事参照)があらわれているということです。

そもそも、血統主義をとらないほとんどの国では、二重国籍(あるいは市民権)が認められています。その背景には、先にも説明したように、多くの国には「社会への参加」をもって市民権あるいは国籍を認めるという法的思想があるからです。その点にかつての出自は関係ないし、政治参加の権利は、同じ社会に参加している者どうしで認め合うのが当たり前のことなのです。同じ社会に暮らしているということが、すでに「共同性」や「同じ利害」をもつことにつながるのですから。(もちろん、そうした思想が実現されているのは、マイノリティの権利獲得運動の結果であるわけですが。)

そしてこの「共同性」や「同じ利害」とは、このコメントで言われている「日本の運命」という共通性とは対極にあるものです。どうやらこの「運命」は、人びとの意志や生き方とは無関係に、「日本人」としての生まれという一点だけを根拠としているようです。ですが、そのような共通の運命など存在するのでしょうか。あらかじめ閉じられた輪のなかにだけ共有されている「運命」。あるいは、その「そと」にあるものとは共有できず、あるいは共有しようとすると「奪わ」れなくなってしまうような「権利」。そのような「運命」や「権利」という幻想にすがりつづけ、分かち合うことによって豊かになっていける可能性を想像できないような社会に、はたして未来はあるのでしょうか。

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